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私の勤務時間は当初、8時から5時までだった。しかし、ほとんどは4時40分頃には帰れていた。2時間の休憩のうち、20分は取っておいて、その分早く帰るということだ。しかし、飛行機が遅れたりするとたちまちこれは崩れる。その可能性がある時には確実に2時間は休憩しておかなければ損するというわけだ。早出勤務がある時は、6時から3時までだ。しかし、実際には食事に30分くらいしか取れず、1 時半に帰るということも認められていた。ただ、これは先輩に釘を刺されていた。それができるなら誰でも早出をするだろうということだ。私は早く帰りたいのでかまわず帰っていた。
空港の仕事で機内清掃以外に何があるのか。ゴミ掃除に違いはないのだが、建物の掃除かなと思っていた。実際、ターミナルの掃除は重要で、長くJALやANAの待合室の掃除機あてはやらされた。他の人に聞いたのだが、先輩は半年くらいやらされていたそうだ。特に決まりがあるわけでもなく、いろんな条件で決めるのかなと思っていた。ANAラウンジなど男が女子トイレを掃除したりするわりと神経を使う部署の掃除は、終わってみるとそんなに多くは任されなかったと思う。私はトイレの掃除を美しくすることは苦手だったと思う。それに比べ待合室の掃除機あては、最後の方にはわりと上手くなっていた。ブロックごとにやって行けば、くまなく機械的にできるのだった。これは、ベテランの手法を見ていて真似したものだ。そして、管制塔や税関などはとうとう半年の勤務では任されることはなかった。多分、私には向いていないと思われたのだろう。
建物以外の掃除では何があるのか?私が入社したのが10月で、まだ暖かい感じの季節だった。当時は、先輩に連れられて行って呑気に考えていたのが、第4駐車場のゴミ掃除だった。一人でやれることには限界があるので多くは手分けしてやった。私は第4が気楽でいいのでいつも志願していた。時には駐車場を一人でやることもあった。第1から第4まで全てということだ。ただ、これには限界があって第1のゴミ箱掃除を終えると第2に行き、ざっと見るだけ、第3は第4の行きがけにチェックということをしなければ追いつかなかった。
第4駐車場の本当の厳しさを知るのは12月に入ってからだったろうか。待っていても会社から防寒着が支給されることは無いと聞いたので件の主任に尋ねたら、最近辞めた人のお古ならばあるという。私は自分の物を用意してもいいつもりだったが、ゴミから汁が出て汚れるのが嫌だったのでできれば仕事着が欲しかったわけだ。12月いっぱいは着ただろうか。この冬は岡山でも数年に一度の寒い冬だった。会社からあてがわれた防寒着はクソの役にも立たなかった。おかげでクリーニング代だけ損した格好になった。第4駐車場は「網走」と先輩が名づけていた。側にある池の影響なのかことの外厳しい冷たい風が吹く。結局、自分で用意した米軍の軍服がちょうど良かった。
私は、こうして第4駐車場、網走の掃除人となった。2、3回先輩が付いてきてくれ、何をすればいいのかを教わった。要するにゴミ箱のゴミ取りとその他の突発的なゴミ拾いだった。もっと言えば吸い殻拾いだった。いなかっぺ大将の漫画でしか見たことのなかった吸い殻拾いを今自分がやっているという自覚が必要だった。ちなみに火箸は先輩が持って来たもので会社からの支給は何も無い。ただ、使い捨てのゴム手袋があるだけで、これで拾えということらしかった。
会社と私の間には何かしらもめ事があった。次回にまた書くつもりだが、しょうもないことだった。しかし、私はそれで本当に心が折れてしまったほどだ。
つづく
空港の仕事で機内清掃以外に何があるのか。ゴミ掃除に違いはないのだが、建物の掃除かなと思っていた。実際、ターミナルの掃除は重要で、長くJALやANAの待合室の掃除機あてはやらされた。他の人に聞いたのだが、先輩は半年くらいやらされていたそうだ。特に決まりがあるわけでもなく、いろんな条件で決めるのかなと思っていた。ANAラウンジなど男が女子トイレを掃除したりするわりと神経を使う部署の掃除は、終わってみるとそんなに多くは任されなかったと思う。私はトイレの掃除を美しくすることは苦手だったと思う。それに比べ待合室の掃除機あては、最後の方にはわりと上手くなっていた。ブロックごとにやって行けば、くまなく機械的にできるのだった。これは、ベテランの手法を見ていて真似したものだ。そして、管制塔や税関などはとうとう半年の勤務では任されることはなかった。多分、私には向いていないと思われたのだろう。
建物以外の掃除では何があるのか?私が入社したのが10月で、まだ暖かい感じの季節だった。当時は、先輩に連れられて行って呑気に考えていたのが、第4駐車場のゴミ掃除だった。一人でやれることには限界があるので多くは手分けしてやった。私は第4が気楽でいいのでいつも志願していた。時には駐車場を一人でやることもあった。第1から第4まで全てということだ。ただ、これには限界があって第1のゴミ箱掃除を終えると第2に行き、ざっと見るだけ、第3は第4の行きがけにチェックということをしなければ追いつかなかった。
第4駐車場の本当の厳しさを知るのは12月に入ってからだったろうか。待っていても会社から防寒着が支給されることは無いと聞いたので件の主任に尋ねたら、最近辞めた人のお古ならばあるという。私は自分の物を用意してもいいつもりだったが、ゴミから汁が出て汚れるのが嫌だったのでできれば仕事着が欲しかったわけだ。12月いっぱいは着ただろうか。この冬は岡山でも数年に一度の寒い冬だった。会社からあてがわれた防寒着はクソの役にも立たなかった。おかげでクリーニング代だけ損した格好になった。第4駐車場は「網走」と先輩が名づけていた。側にある池の影響なのかことの外厳しい冷たい風が吹く。結局、自分で用意した米軍の軍服がちょうど良かった。
私は、こうして第4駐車場、網走の掃除人となった。2、3回先輩が付いてきてくれ、何をすればいいのかを教わった。要するにゴミ箱のゴミ取りとその他の突発的なゴミ拾いだった。もっと言えば吸い殻拾いだった。いなかっぺ大将の漫画でしか見たことのなかった吸い殻拾いを今自分がやっているという自覚が必要だった。ちなみに火箸は先輩が持って来たもので会社からの支給は何も無い。ただ、使い捨てのゴム手袋があるだけで、これで拾えということらしかった。
会社と私の間には何かしらもめ事があった。次回にまた書くつもりだが、しょうもないことだった。しかし、私はそれで本当に心が折れてしまったほどだ。
つづく
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