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私は高校の2年までテニスに明け暮れていた。特に好きというわけではなく、中学時代からやっているという思いもあった。何かに押されるかのように入部した。当時の私は人見知りも激しく、部の先輩たちは扱いに困ったようだった。私は兄貴の同級生にいじめを受けていたのだと思う。特に練習をさせてもらうでもなく、走ってばかりだった。ただ、同級と仲良くやっていたのかというとそうでもなく、何となく居場所が無いような感じだった。

それにしても私が部を続けたのは何だったのか。それは親友との出会いだったと思う。彼は中学で浪人していたので一級上だったが当時はよくわかっていなかった。部の合宿で寝起きしたし、風呂場で奴の股間を見た仲でもあった。立派なものだったように記憶している。

よくわからないが、一緒にいると安らぐ、そんな彼だった。一時期彼が先輩とケンカして部をやめたのだが、その時は私が仲介をして復活した。わずか2年くらいの間のことだがかなり長い時間だったような気がする。彼の父が亡くなったのもこの頃だった。私は肉親の死というのもよくわかっていなかった。親友との楽しい思い出を作った2年だった。部を卒業したら帰りに本屋とか百貨店のゲームコーナーで遊ぶのが楽しみだった。今では懐かしいバーだけのホッケーゲームだった。電気コーナーにあるので無料だった。

楽しい時間が終わり、私も受験に備えて勉強に入ったのは3年の初め頃だったように思う。私も勉強したのだが、それはわからないことをわかるようにするということだったので受験向きではなかった。高校の勉強としては何でも直感的に理解することが求められた。しかし、誰に教えられるでもなく私は我流の勉強を続け浪人に突入したのであった。私の時代は浪人すると次の年からは共通一次が始まるという年代だった。非常に不利な状況だったようだ。

私の勉強は、とにかくわからないことをわかるようにという本当の勉強なので受験が変わろうと関係無いと思っていた。確かに無制限一本勝負ならそうなのだが試験には制限時間があった。決められた時間に量をこなさなければゼロだった。私の知識ゼロから組み立てる勉強ではとても時間は足らないのだった。浪人も4年になり、私もいよいよ大学をあきらめることになった。無論、発狂せんばかりの苦悩はあった。京都に出てチャンスがあれば大学を狙うという気持ちでとりあえず大学受験はやめたのだった。

数学にこだわって勉強をしていたが受験数学が嫌でともかくやろうとするが眠ってしまうという有様だった。受験代に参考書代に通信添削代に使った金は果てしないものがあった。しかし、私の母は、大したことはないと言ってくれたのだった。

今の時代に必要なのは私がやって来たようなゼロから組み立てる勉強ではないのか。今起こっている様々な不具合は、そういう勉強ができない連中が引き起こしているのではないのか。
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