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音楽が癒されると書いたが、それはモーツァルトと永井龍雲だ。後者は、私の浪人時代からの友であり、東京のライブへ行き始めてからは、リアルな友となっている。昨年は私の仕事の心配までしてくれた龍雲だった。私がかつてのファンクラブの代表ともめていることも心を痛めていることだろう。モーツァルトは言わずとしれた、あの方のこと。アマデウスを見て以来、遅れてきたファンになったのだった。
モーツァルトも現代に生まれていたらどうだろう。ツイキャスで自分を売り込み、実力でのし上がれたのではないか。大衆に注目されるにはヒットオペラを書くしかなかった時代。政治的な陰謀にはひとたまりもなかっただろう。フィガロの結婚は5回しか演奏されなかったという。今日の人気からすれば信じられない話だ。ウォークマンやiPodがあったら、大ヒットだったのではないか。
私自身が本当に癒されるとしたら、それは電子図書館か。その仕事に私も参加する時にコーフンするだろう。いろんな問題が解決されなければならないのだが、辞書とか事典とか全集ものを提供する出版社には一定額の使用料を税金で支払うというのも一つの解だろうと思う。どこかで皆が使う種類のものだから。その資金で改訂の費用も捻出できるといいだろう。
小説やノンフィクションの単行本については、任意だろうが閲覧数に比例して収入が増える仕組みが欲しいところだ。ただ、そうすると大量動員でインチキ閲覧が増えることだろう。インチキと本当のユーザーを見分けることは多分できない。登録制にしたところで難しい。アイデアはあるのだが、それが使えるのかどうか。ただ、そういうことを考えていると楽しい。
現在、iPadを中心にタブレットはどのくらい普及しているのか。辺野古では年輩の方も使用しているという。だが、そう多くはないと思う。PCがせいいっぱいで、それ以上の投資は無理という人がほとんどなのだろう。私の敗北も、タブレットアプリが普及していないのもそれが原因だと思っている。もし、今後普及するようなことがあれば、アプリにも需要があるはずだし、電子図書館も現実のものになるだろう。やはり、便利だからだ。
私がタブレットに未来を感じたのは、当たり前のことができるからだった。検索ができて、文字がくっきりハッキリ見える。画像や動画もそのうち問題ない環境はそろうだろう。情報はタブレットで得るものになるのではないかと思ったわけだ。しかし、そんなにいいタブレットを使っているわけでもない人にはどうでもいい問題だったかもしれない。私は実験の意味もあって、画面にはこだわって購入してきたのだった。
出ると噂されているiPad Proに期待しているのは、仕事もできるのではないかという点とか、さらに高性能で高画質ではないかという点だ。情報をとるだけではなく、その他のこともできるとなるとこれはもう買わざるを得ないからだ。iPadにしてもそういう面があった。PCではちょい扱いがしんどいという年輩の人もiPadなら拡大もできて便利だと思わせたのだった。PCを上回るか同等の能力を持てば普及段階に入りはしないか?
Androidも死ぬほど買ったが満足できるものは無かったと言っていい。OSのもろさに加えてアプリも微妙に不具合が多い。だから、非iOSで本物が欲しいという気持ちが強いわけだ。Winが本物とは思わないが、iOSでは物足らないものをWinタブレットで何とかごまかしている状態だ。マイクロソフトのタブレットは、さすがに欲しいとは思わない。せめてThinkPad的な味付けが欲しいと思うからだ。
仕事があれば、それにかこつけてパソコンを買うのだが、仕事も無いのでできないでいる。買うとしたらThinkPad YOGAだ。15インチのものが欲しかったが、国内では販売は無さそうだ。どうも変態マシンは売れないようだ。タブレット的なパソコンというのが私の昔からの願望だった。ペンも使えるというのが欲しかった。実際にはペンを使うことはまず無い。強引に指で済まそうとするから。絵を描くことも無いからだ。
モーツァルトも現代に生まれていたらどうだろう。ツイキャスで自分を売り込み、実力でのし上がれたのではないか。大衆に注目されるにはヒットオペラを書くしかなかった時代。政治的な陰謀にはひとたまりもなかっただろう。フィガロの結婚は5回しか演奏されなかったという。今日の人気からすれば信じられない話だ。ウォークマンやiPodがあったら、大ヒットだったのではないか。
私自身が本当に癒されるとしたら、それは電子図書館か。その仕事に私も参加する時にコーフンするだろう。いろんな問題が解決されなければならないのだが、辞書とか事典とか全集ものを提供する出版社には一定額の使用料を税金で支払うというのも一つの解だろうと思う。どこかで皆が使う種類のものだから。その資金で改訂の費用も捻出できるといいだろう。
小説やノンフィクションの単行本については、任意だろうが閲覧数に比例して収入が増える仕組みが欲しいところだ。ただ、そうすると大量動員でインチキ閲覧が増えることだろう。インチキと本当のユーザーを見分けることは多分できない。登録制にしたところで難しい。アイデアはあるのだが、それが使えるのかどうか。ただ、そういうことを考えていると楽しい。
現在、iPadを中心にタブレットはどのくらい普及しているのか。辺野古では年輩の方も使用しているという。だが、そう多くはないと思う。PCがせいいっぱいで、それ以上の投資は無理という人がほとんどなのだろう。私の敗北も、タブレットアプリが普及していないのもそれが原因だと思っている。もし、今後普及するようなことがあれば、アプリにも需要があるはずだし、電子図書館も現実のものになるだろう。やはり、便利だからだ。
私がタブレットに未来を感じたのは、当たり前のことができるからだった。検索ができて、文字がくっきりハッキリ見える。画像や動画もそのうち問題ない環境はそろうだろう。情報はタブレットで得るものになるのではないかと思ったわけだ。しかし、そんなにいいタブレットを使っているわけでもない人にはどうでもいい問題だったかもしれない。私は実験の意味もあって、画面にはこだわって購入してきたのだった。
出ると噂されているiPad Proに期待しているのは、仕事もできるのではないかという点とか、さらに高性能で高画質ではないかという点だ。情報をとるだけではなく、その他のこともできるとなるとこれはもう買わざるを得ないからだ。iPadにしてもそういう面があった。PCではちょい扱いがしんどいという年輩の人もiPadなら拡大もできて便利だと思わせたのだった。PCを上回るか同等の能力を持てば普及段階に入りはしないか?
Androidも死ぬほど買ったが満足できるものは無かったと言っていい。OSのもろさに加えてアプリも微妙に不具合が多い。だから、非iOSで本物が欲しいという気持ちが強いわけだ。Winが本物とは思わないが、iOSでは物足らないものをWinタブレットで何とかごまかしている状態だ。マイクロソフトのタブレットは、さすがに欲しいとは思わない。せめてThinkPad的な味付けが欲しいと思うからだ。
仕事があれば、それにかこつけてパソコンを買うのだが、仕事も無いのでできないでいる。買うとしたらThinkPad YOGAだ。15インチのものが欲しかったが、国内では販売は無さそうだ。どうも変態マシンは売れないようだ。タブレット的なパソコンというのが私の昔からの願望だった。ペンも使えるというのが欲しかった。実際にはペンを使うことはまず無い。強引に指で済まそうとするから。絵を描くことも無いからだ。
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