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ツレは私のやりたいことを把握してくれているので、今度こんなことをやろうと思っていると言うと、常に応援してくれる。今度のこともそうだ。しかし、現実は厳しい。私に責任が無いわけではない。集団であろうが、ちゃんと発言はできるわけだから、ちゃんと言えばいいだけのことだ。

もっともそれ以上の何かがあるとしたら、それはあずかり知らないことだ。今度の応募は、あくまでも私に特別な思いがあったというだけで、先方には特に何も無かったかもしれない。あの時言っていた以上に何かあるのなら別なのだが。しかし、要するに話題にしたいという思いは強いだろうと思う。それには、私必要なはずなのだが。

それも夢物語だ。どこまで行ってもあちらの必要だけだ。こちらの願いとか祈りは通用しない。まさに大学受験も同じようなものだった。これだけ祈りとか程遠いものに私はよく祈っていた。最後には祈りしか無かったのだろう。受験は、何も完璧でなくとも競争に勝てば合格するのだろうが、私ははるかに及ばなかったわけだ。

高校時代の進路指導と呼ばれていた連中の言うことは間違いではなかった。私の成績は合格最低点に200点も足らないという結果も返って来ていた。思い出したくない記憶なので最近まで忘れていたことでもある。つまり、受験生としては、ほとんど落第点しかとれなかったということ。だが、大学へ行き本物の学問をやりたいという思いはどうすることもできなかった。

二浪時代のHは、私の思いに応えてくれた恩師だった。それにしても点を上げなければどうにもならないことは常に言ってくれていた。結局、期待した以上には点は伸びないのを見て、どうにもならないと感じたことだろう。その後、彼は高校を変わったのでつながりも無くなった。ただ、点数を上げなければどうにもならないという事実は変えられないので、私の勉強したいという思いを理解してもどうにもならなかっただろう。

私自身は、今でも乗り越えられたわけではない。大学の代わりに自分でと思ったが、やはり壁は厚く高く、歴史であっても大したことはできていない。京都時代に何でも手を出してみたのだが、結局、何も身に付かなかった。プログラミングを志したのは、岡山に帰って来てからだった。京都時代の最後のアルバイトで目覚めたのだった。

実際には、岡山では大したことをやる前に会社がおかしくなり、私は東京に逃げたのだった。そこでは、プログラミングとは大きく離れたことをすると思えたのだが、言語は違うが、コテコテのプログラマーをやることになった。そして、本当にプログラミングの面白さを学ぶことができたと思っている。

大学へ行かなくとも、そこそこ食って行けるという実感を得た時代でもあった。そして、私の大学へ行きたい行きたい病も消えた。努力次第ではプログラミングを極めることもできるからだ。実用を超えてOSの領域まで踏み込めばいいだけだ。

ただし、小さな頃目指していた夢には程遠い。さすがに今の時代でも大学でないと実験器具や必要な文献とか資料はなかなか入手できなそうな気がする。もう少し時代が下れば、大学は実験をするだけの所、あるいは、資料を見る所になるかもしれないのだが、私の生きる時代には、それは難しいかもしれない。むしろ、その仕事を私が買って出ているということ。

何かこう未来につながることをしたいという夢はある。新しい研究に大学もクソもない。やるかやらないかだけの差だ。それは、私がプログラミングで得た教訓。
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