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なんと今日、18年前にお世話になった仕事場へ行き、働いてきた。むろん、デジタルなどの仕事ではなくキツーイ仕事だ。死ぬかと思った。やはり、どんどん苦しくなって行くので、少しでもお金を増やそうとしてのことだ。ただ、このままだとどの仕事もダメになる可能性はあるのでどこかの時点で判断を迫られる。厳しいが、仕方のない事だ。誰に義理立てすることもない。辞める時はすっぱりと辞める。お互いに利用しあう関係に過ぎないからだ。体力や膝が続く限りはがんばろうと思う。私もこれまであまりがんばったとは言えないので、今頃がんばろうとしている。
実は、明日も呼ばれているので、事実上休みがふさがってしまった。これまで普通にやって来たことができなくなるので苦しいが仕事だからということで我慢している。そして、またすぐに出て来る煩悩も。ついついエロDVDを注文してしまった。要するにネットの電略にマンマとひっかかっているのだ。最初に無料動画を一定の期間流す。最初は何も言わずに、アクセスが増えるとクレームいをつけて、動画の公開を辞める。男としては苦しい。そして、DVDを買わされる羽目になるのだ。買ったところで一度お世話になったものは見ないのだが、これが悲しい性でついつい買うわけだ。金額がセコイのは私らしいが、金額の問題ではないのだ。
仕事をやりつつ、私は過去と対話していた。当時、大変懇意の人がいたのだった。私と仕事をすることが多かった。たぶん、彼が指名していたのではないかと思う。二人きりの時もあったし、もう一人増えることもあった。当時のドライブインではよく食事を共にした。彼はエビフライ定食が好きで二日続けて食べることもあったくらいだ。今ではもう安心して食べられないが、岡山ではほとんど関心無いようだ。
私が東京で仕事を始めることを喜んでくれ、「わしにも仕事をくれいよ。」と言っていた。東京に出てしばらくしてハガキを出したくらいだが、届いたのかどうかわからない。返事は無かった。私も訳も分からず忙しくしていた時代だ。今日、古株の人と一緒だったので聞いてみると、知っているという。もう、辞めて10年になるそうだ。今もパチンコを熱心にやっているのだろうか。仕事の途中で「おめえ、ちょっとここにおれいよ。」と言ってはパチンコに行き「やられた!」と大笑いして帰って来るこもあった。
一緒に仕事をする中でいろんなことを教わった。技術的なことやら、ちょっとした気配りまで。押しの強い人なので知らず知らずのうちに覚えこまされていた。今日は忘れていたことをどんどん思い出す日だったように思う。当時彼は、今の私と同じくらいの年齢だったのだろうか。私が辞めて8年くらいは仕事をやっていた計算になる。円満に定年で辞めたのだろうが、今後情報を仕入れたい。私も苦しくなければ思い出すこともなかったエピソードだ。彼とはオウムの話もした。政治についても話のできる人だった。とにかくよく食べ働き、グイグイ押す人だった。それ故、快く思わない人もいた。今日のおじさんもその一人だったのかもしれない。あまり話題にしたくないようだった。
私は当時通った道をかすかな記憶を頼りに思い出しつつ帰った。30代の私ではあったが、力仕事など数年遠ざかっている身だったので体がバラバラになりそうな日々だった。最初に仕事を見つけた時には彼とは一緒のことはなかったのだが、次に来た時に一緒のことが多かったわけだ。私も少し慣れていたので気に入られたのかもしれない。かなり遠くまで行ったことを覚えている。
私が一方的に思い出しているだけで、相手はスッキリと忘れているかもしれない。現に18年前の人もいたのだが、私のことは知らないという。一緒に仕事をしたことはあまりないので仕方のないことだ。いい感じで老けていて、眼光が鋭い。恐らく定年まで行くことだろう。私もこの人たちを見ていて自分の現在を比較して辛くなった。私はとりあえず、仕事に失敗しているからだ。18年前も今もだ。今度もこれがいいきっかけになり、円満に辞めたいところだが、この先は読めない。わかっていることは、二つの仕事とも、体を張っての仕事だけに、常に危険は伴うということ。煩悩に任せて夜な夜な元気を出している場合ではないということ。常に次のことを考えておかなければ大変なことになる。
実は、明日も呼ばれているので、事実上休みがふさがってしまった。これまで普通にやって来たことができなくなるので苦しいが仕事だからということで我慢している。そして、またすぐに出て来る煩悩も。ついついエロDVDを注文してしまった。要するにネットの電略にマンマとひっかかっているのだ。最初に無料動画を一定の期間流す。最初は何も言わずに、アクセスが増えるとクレームいをつけて、動画の公開を辞める。男としては苦しい。そして、DVDを買わされる羽目になるのだ。買ったところで一度お世話になったものは見ないのだが、これが悲しい性でついつい買うわけだ。金額がセコイのは私らしいが、金額の問題ではないのだ。
仕事をやりつつ、私は過去と対話していた。当時、大変懇意の人がいたのだった。私と仕事をすることが多かった。たぶん、彼が指名していたのではないかと思う。二人きりの時もあったし、もう一人増えることもあった。当時のドライブインではよく食事を共にした。彼はエビフライ定食が好きで二日続けて食べることもあったくらいだ。今ではもう安心して食べられないが、岡山ではほとんど関心無いようだ。
私が東京で仕事を始めることを喜んでくれ、「わしにも仕事をくれいよ。」と言っていた。東京に出てしばらくしてハガキを出したくらいだが、届いたのかどうかわからない。返事は無かった。私も訳も分からず忙しくしていた時代だ。今日、古株の人と一緒だったので聞いてみると、知っているという。もう、辞めて10年になるそうだ。今もパチンコを熱心にやっているのだろうか。仕事の途中で「おめえ、ちょっとここにおれいよ。」と言ってはパチンコに行き「やられた!」と大笑いして帰って来るこもあった。
一緒に仕事をする中でいろんなことを教わった。技術的なことやら、ちょっとした気配りまで。押しの強い人なので知らず知らずのうちに覚えこまされていた。今日は忘れていたことをどんどん思い出す日だったように思う。当時彼は、今の私と同じくらいの年齢だったのだろうか。私が辞めて8年くらいは仕事をやっていた計算になる。円満に定年で辞めたのだろうが、今後情報を仕入れたい。私も苦しくなければ思い出すこともなかったエピソードだ。彼とはオウムの話もした。政治についても話のできる人だった。とにかくよく食べ働き、グイグイ押す人だった。それ故、快く思わない人もいた。今日のおじさんもその一人だったのかもしれない。あまり話題にしたくないようだった。
私は当時通った道をかすかな記憶を頼りに思い出しつつ帰った。30代の私ではあったが、力仕事など数年遠ざかっている身だったので体がバラバラになりそうな日々だった。最初に仕事を見つけた時には彼とは一緒のことはなかったのだが、次に来た時に一緒のことが多かったわけだ。私も少し慣れていたので気に入られたのかもしれない。かなり遠くまで行ったことを覚えている。
私が一方的に思い出しているだけで、相手はスッキリと忘れているかもしれない。現に18年前の人もいたのだが、私のことは知らないという。一緒に仕事をしたことはあまりないので仕方のないことだ。いい感じで老けていて、眼光が鋭い。恐らく定年まで行くことだろう。私もこの人たちを見ていて自分の現在を比較して辛くなった。私はとりあえず、仕事に失敗しているからだ。18年前も今もだ。今度もこれがいいきっかけになり、円満に辞めたいところだが、この先は読めない。わかっていることは、二つの仕事とも、体を張っての仕事だけに、常に危険は伴うということ。煩悩に任せて夜な夜な元気を出している場合ではないということ。常に次のことを考えておかなければ大変なことになる。
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