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新しい企画を考えていると、どうしても18年前、東京に進出した頃のことを思い出してしまう。そう、私は今でこそデータベースを作りたく仕方ないのだが、当時はまだインターネットそのものをあまり知らなかったし、WebとかWWWとかも知らなかった。行ってから、Windows3.1でダイアルアップ接続して喜んでいたくらいだった。しかし、よく落ちるので仕方なくFreeBSDで接続してようやく安定したネット生活を営んでいた。
すぐにWindows95が出て、私もほどなくしてデスクトップを購入したと思う。20万くらししたのではなかったか。それを15回払いくらいで購入した。しかし、手違いで一括で請求されワナワナ震えた記憶があった。すぐに訂正されたのだが、相手は一応「一括でお支払いできませんか?」と聞いていた。もちろん、払えるワケがなかった。快適だったが、すぐに使わなくなったのは、OSがめまぐるしく変わったりしたからであろうか。
いや、ノートの台頭によるものだろう。同僚がThinkPadのバタフライというやつを購入したので、それにあこがれていた。実際には、かなり後になって手を出した私だが、確か50万近い途方もない値段だったように思う。大切に使ったのだが、これもすぐに使わなくなった。やはり、当時のことだから、ソフトウェアの進化も激しく、あっという間に今使っているものは古いものになってしまうのだった。
仕事用にすぐ、やはり50万くらいかけて新しいぶかっこうなものを購入したが、これはよく動いてくれた。2000年代の初め頃だろうか。終わりが劇的で、ハードディスクがいかれてしまい、使えなくなったことを覚えている。仕事が一段落した後での故障なので自分が損するだけで済んだ。
その後は、安いものを購入したり、東芝のものを購入したり、いろいろだった。ヨドバシができて、秋葉が昔の古き良き時代の秋葉ではなくなり、どこで買えばいいのか、そんな時代だった。ネットも光回線になっていた。しかし、無線ではなく有線のLANを私は使っていた。無線はよくわからなかったのだ。
仕事的に言えば、ずっとサーバーの管理のようなことをやっていた私だった。サーバーを作っていて、これに最新のデータを入れて常に更新して行くというやり方。ダサいのだが、これが最も安全なように思えた。ユーザーが入力したものが即時に反映できるものも考えたが、運用上問題があると思えたのだった。校正のタイミングなどからも週一でサーバーを更新して行けば、間に合うという仕事だった。
CD-ROMやらDVD-ROMやらの形にする時だけは、いっそうのチェックやら追加作業があり、それなりに大変だった。スケジュールもいい加減だったので、体力的にもしんどくなりつつあった。プログラミンの技術も同じことばかりやるので大した進歩も無かったが、それでも5年くらい経つと、毎日不安から、少し楽しみつつやれたのではないかと思う。そして、ある段階から、そんなに心配することもなくなっていった。困難なことは一通り経験したということ。
そこらまでが私の第一期とも言うべき仕事だった。
すぐにWindows95が出て、私もほどなくしてデスクトップを購入したと思う。20万くらししたのではなかったか。それを15回払いくらいで購入した。しかし、手違いで一括で請求されワナワナ震えた記憶があった。すぐに訂正されたのだが、相手は一応「一括でお支払いできませんか?」と聞いていた。もちろん、払えるワケがなかった。快適だったが、すぐに使わなくなったのは、OSがめまぐるしく変わったりしたからであろうか。
いや、ノートの台頭によるものだろう。同僚がThinkPadのバタフライというやつを購入したので、それにあこがれていた。実際には、かなり後になって手を出した私だが、確か50万近い途方もない値段だったように思う。大切に使ったのだが、これもすぐに使わなくなった。やはり、当時のことだから、ソフトウェアの進化も激しく、あっという間に今使っているものは古いものになってしまうのだった。
仕事用にすぐ、やはり50万くらいかけて新しいぶかっこうなものを購入したが、これはよく動いてくれた。2000年代の初め頃だろうか。終わりが劇的で、ハードディスクがいかれてしまい、使えなくなったことを覚えている。仕事が一段落した後での故障なので自分が損するだけで済んだ。
その後は、安いものを購入したり、東芝のものを購入したり、いろいろだった。ヨドバシができて、秋葉が昔の古き良き時代の秋葉ではなくなり、どこで買えばいいのか、そんな時代だった。ネットも光回線になっていた。しかし、無線ではなく有線のLANを私は使っていた。無線はよくわからなかったのだ。
仕事的に言えば、ずっとサーバーの管理のようなことをやっていた私だった。サーバーを作っていて、これに最新のデータを入れて常に更新して行くというやり方。ダサいのだが、これが最も安全なように思えた。ユーザーが入力したものが即時に反映できるものも考えたが、運用上問題があると思えたのだった。校正のタイミングなどからも週一でサーバーを更新して行けば、間に合うという仕事だった。
CD-ROMやらDVD-ROMやらの形にする時だけは、いっそうのチェックやら追加作業があり、それなりに大変だった。スケジュールもいい加減だったので、体力的にもしんどくなりつつあった。プログラミンの技術も同じことばかりやるので大した進歩も無かったが、それでも5年くらい経つと、毎日不安から、少し楽しみつつやれたのではないかと思う。そして、ある段階から、そんなに心配することもなくなっていった。困難なことは一通り経験したということ。
そこらまでが私の第一期とも言うべき仕事だった。
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