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昨日は、結局、2時過ぎまで起きていた。眠れないというのは、確かにあったが、眠らなかったというのが正しい感じだ。ドラマを見たり、事務作業をしたりして過ごした。本当は、こんな時間は起きていない方がいいのだが、仕方がないこともある。なぜ、眠るのか、それは疲れるから。疲れていない日は眠れないのだ。
2000年代の初め、私は非常に忙しかった。頑張りすぎたのかもしれない。眠ることさえ、医者に相談したことが不幸の始まりだった。医者とて個人の睡眠まで管理できるわけもなく、最終的には精神安定剤を出すことになる。よほどの状況でないと、睡眠薬は出さないようだ。事実、私はもらったことがない。ただ、精神科に行ったらよくなるのかもと思って行ったことが失敗だった。コンスタンという新たな薬を出され、これが悪くなるきっかけだった。
その医者はイカレており、私がコンスタンが効かないのだと言うと、それでは毎食後飲めと言い出し、副作用を心配すると「無いって!」と声を荒げる始末だった。彼の予を定では、これからどんどん薬を増やて行くらしかった。それなのに副作用など心配されたら商売あがったりだったのだろう。強い意志でグイグイ押してくる感じだった。私は、それ以来この医者とは訣別した。
不安もあった。まだネット上で断薬の情報はそんなに多くはなかった。大まかには、漸減法といって、少しずつ無理のないように薬の量を減らしていくのが良さそうだったのだが、本当にそれでいいのかどうかわからない。しかし、夜は眠れないという状態が続いた。ある時、歩けばいいということを知り、とにかく歩いた。仕事を終えて40分くらい歩いた。神保町から京成上野までだから、けっこうな距離だったろう。歩くごとに生命力が増してくるようでむしろうれしかった。見知らぬ街並みにも感動した。数ヶ月続いただろうか、歩くことの治療は、膝をいわしてしまうというおちで中断する羽目になった。
その後は、週一に江戸川の土手を歩くことが日課になり、その時に植物や風景写真を撮ることを覚えたのであった。同時に水元公園に遠征に行ったこともあった。今にして思えば、静寂の中で行われたような気がするが、もちろん、ちゃんと音もあった。そして、不安な気持ちを掻き消すためであるかのようにいろいろな買い物をしてしまい、柴又の住居をゴミ屋敷にしてしまったのだった。疲れていたのだろうと思う。考えることができなくなっていた。私がおかしくなり、パートナーも体調を崩し、経理も歳のせいなのか一番重症で、入院するはめになった。
順番としては、経理、私、パートナーという順で調子が悪くなったと思う。記憶があいまいかもしれない。パートナーはもっと先に不調を訴えていたかもしれない。すべては私が無茶な仕事を強行したことによる。経理が回復し、パートナーが回復し、そして私がという順で回復はしたのだが、苦しい感じだった。311までそういう状態が続くことになる。
この間、私がもっとも恐れたのは、なんと睡眠だったように思う。悩み出すと、本当にどうしようもなくなるのが睡眠なのだ。気にしないのが一番だが、気にしないで済むならば、病気になどならない。そこが一番難しい。睡眠のメカニズムは難しいが、単純には頭と体の疲れが必要で、多くの場合、それがバランスよくないと不眠になる。頭も体もほどよく疲れたというのがいい。一日中パソコンの前、という仕事は非常によろしくないのだ。
そして、昨夜私がやったように、疲れていない夜は、睡眠をあきらめて、いろいろやることを用意することがいい。男の場合、自慰で眠れることもあるが、眠れない時にしても疲れるだけのことの方が多い。むしろ、やることを用意しておいて、次々とこなして行くのがいい。意外に疲れてしまい、途中で眠ってしまう。私は癒されたい気持ちがあって、久しぶりにマイケルの笛を聴いた。久しぶりだったが、一発で眠れた。不眠との長き闘いの中で見つけた私にとっての癒しの音は、ホピの笛の音色だったようだ。以来、神経質に必ず眠る前の儀式として聴いたものだった。多くは成功し、そこそこの眠りは得られたのだった。
結論としては、自分に合った眠りの儀式を見つけることがいい。カモミールティーを飲むとかも意外に有効だったりする。あらゆる手を使った方がいい。死を考えているような場合は薬も仕方ないのかもしれないが、通常は薬は使ってはいけない。離脱症状から逃れることに大きな時間を費やすことになるからだ。
最近ではネットでラジオを聞いたりもできるので、ラジオを聞くということもいい場合がある。次の日のスケジュールをぼんやり考えることが良かったりする場合もある。私の場合、目を閉じた時の残影がいろんな形に見えるのだが、それでいろんなことを想像するのが良かったりする。考えているうちに朝が来ている。
基本は、頭と体の疲れをバランスさせること。これができていれば、まず大丈夫だ。
2000年代の初め、私は非常に忙しかった。頑張りすぎたのかもしれない。眠ることさえ、医者に相談したことが不幸の始まりだった。医者とて個人の睡眠まで管理できるわけもなく、最終的には精神安定剤を出すことになる。よほどの状況でないと、睡眠薬は出さないようだ。事実、私はもらったことがない。ただ、精神科に行ったらよくなるのかもと思って行ったことが失敗だった。コンスタンという新たな薬を出され、これが悪くなるきっかけだった。
その医者はイカレており、私がコンスタンが効かないのだと言うと、それでは毎食後飲めと言い出し、副作用を心配すると「無いって!」と声を荒げる始末だった。彼の予を定では、これからどんどん薬を増やて行くらしかった。それなのに副作用など心配されたら商売あがったりだったのだろう。強い意志でグイグイ押してくる感じだった。私は、それ以来この医者とは訣別した。
不安もあった。まだネット上で断薬の情報はそんなに多くはなかった。大まかには、漸減法といって、少しずつ無理のないように薬の量を減らしていくのが良さそうだったのだが、本当にそれでいいのかどうかわからない。しかし、夜は眠れないという状態が続いた。ある時、歩けばいいということを知り、とにかく歩いた。仕事を終えて40分くらい歩いた。神保町から京成上野までだから、けっこうな距離だったろう。歩くごとに生命力が増してくるようでむしろうれしかった。見知らぬ街並みにも感動した。数ヶ月続いただろうか、歩くことの治療は、膝をいわしてしまうというおちで中断する羽目になった。
その後は、週一に江戸川の土手を歩くことが日課になり、その時に植物や風景写真を撮ることを覚えたのであった。同時に水元公園に遠征に行ったこともあった。今にして思えば、静寂の中で行われたような気がするが、もちろん、ちゃんと音もあった。そして、不安な気持ちを掻き消すためであるかのようにいろいろな買い物をしてしまい、柴又の住居をゴミ屋敷にしてしまったのだった。疲れていたのだろうと思う。考えることができなくなっていた。私がおかしくなり、パートナーも体調を崩し、経理も歳のせいなのか一番重症で、入院するはめになった。
順番としては、経理、私、パートナーという順で調子が悪くなったと思う。記憶があいまいかもしれない。パートナーはもっと先に不調を訴えていたかもしれない。すべては私が無茶な仕事を強行したことによる。経理が回復し、パートナーが回復し、そして私がという順で回復はしたのだが、苦しい感じだった。311までそういう状態が続くことになる。
この間、私がもっとも恐れたのは、なんと睡眠だったように思う。悩み出すと、本当にどうしようもなくなるのが睡眠なのだ。気にしないのが一番だが、気にしないで済むならば、病気になどならない。そこが一番難しい。睡眠のメカニズムは難しいが、単純には頭と体の疲れが必要で、多くの場合、それがバランスよくないと不眠になる。頭も体もほどよく疲れたというのがいい。一日中パソコンの前、という仕事は非常によろしくないのだ。
そして、昨夜私がやったように、疲れていない夜は、睡眠をあきらめて、いろいろやることを用意することがいい。男の場合、自慰で眠れることもあるが、眠れない時にしても疲れるだけのことの方が多い。むしろ、やることを用意しておいて、次々とこなして行くのがいい。意外に疲れてしまい、途中で眠ってしまう。私は癒されたい気持ちがあって、久しぶりにマイケルの笛を聴いた。久しぶりだったが、一発で眠れた。不眠との長き闘いの中で見つけた私にとっての癒しの音は、ホピの笛の音色だったようだ。以来、神経質に必ず眠る前の儀式として聴いたものだった。多くは成功し、そこそこの眠りは得られたのだった。
結論としては、自分に合った眠りの儀式を見つけることがいい。カモミールティーを飲むとかも意外に有効だったりする。あらゆる手を使った方がいい。死を考えているような場合は薬も仕方ないのかもしれないが、通常は薬は使ってはいけない。離脱症状から逃れることに大きな時間を費やすことになるからだ。
最近ではネットでラジオを聞いたりもできるので、ラジオを聞くということもいい場合がある。次の日のスケジュールをぼんやり考えることが良かったりする場合もある。私の場合、目を閉じた時の残影がいろんな形に見えるのだが、それでいろんなことを想像するのが良かったりする。考えているうちに朝が来ている。
基本は、頭と体の疲れをバランスさせること。これができていれば、まず大丈夫だ。
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