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私は単にこれまで、東京と岡山を往復して仕事をこなしているのだとばかり思っていた。しかし、いざ帰って来てみると、そうでもないことが多いのに気がつく。我が家についてもそうだし、親友との付き合いもそうだし、親戚付き合いもそうだ。すべては、時間が無いので適当にやって来たのだと思える。適当というのは相手がではなく、私がということだ。
昨年の5月まで私もそれなりに仕事があったが、6月からはまったく無い。いや、今年の初めまでは少しあった。私にしてみれば、東京に帰れば忙しくなるので、岡山は単に墓参りに帰るだけの場所だったのだ。親友と会うにしても私の都合で会ってもらっていたと思う。そして私の都合で話を聞いてもらっていたのだろうと思う。親友との腹を割った話はできていないと思っている。
お袋とも同じで、経理で毎月顔を合わせているとはいえ、80を超える年齢になるまで毎月来てもらっていたのだった。この実家の片づけはできなかったろうと思う。ここにも私の傲慢さがあるように思う。親戚との付き合いは少ない方だが、それでも帰ればお土産を一方的に持っていくことを繰り返していた。いい悪いではなく、それしかできなかったのだ。
私がわからなかったことは、やはり、私の都合ではないことに思いをはせることだった。親友が親戚が、お袋が何を考えて生きてきたのかをほんの少しでも考えてみるべきだったろう。そうしたことができていれば、今のような凋落は無かったかもしれない。まさにスキだらけだったのだ。
常にこれまでの間、私には私の立場しかなかったということ。これに尽きる。仕事が無くなったことも私の立場だけだ。もちろん、それではいけなかったということだ。仕事の幅を広げるということは、まさに付き合いを広げるということ、付き合いが無い、あるいは、広げようとしていないのに、広がるはずもないのだった。
主に出版社でやって来た私にとって、要求されるデータを作るだけがすべてだった。もちろん、提案はしたのだが、興味を持たれることはなかったのだ。付き合いを広げるといっても、言葉としては成り立つが、現実には非常に難しいものだったかもしれない。今となっては、どうなのかはわからない。
ただ、本当にあれこれ興味を持ち、もっともっと提案を出していたら、どうだったのだろうか。紙の出版だけではたちまち行き詰まる、それがわかっていたのだったら、何とかデータベースを作ることを目標に仕事は広げることができなかっただろうかと思う。
そして、相手のせいにばかりすることもできないだろう。結果が問われているわけなので、いかなる理由があろうとも、何とかするべき義務が私にはあったということ。今にして思うのは、タイミングがずれていたように思う。私の会社に好意的な人々もいたわけだから、もっとそういう人々とつながっていたらと思うのだ。
そうした、痛い思いを胸にこれから立ち上がるということを決意しておきたい。まだまだ私が気がついていないこともあるかもしれない。その都度取り込んで修正して行こう。
昨年の5月まで私もそれなりに仕事があったが、6月からはまったく無い。いや、今年の初めまでは少しあった。私にしてみれば、東京に帰れば忙しくなるので、岡山は単に墓参りに帰るだけの場所だったのだ。親友と会うにしても私の都合で会ってもらっていたと思う。そして私の都合で話を聞いてもらっていたのだろうと思う。親友との腹を割った話はできていないと思っている。
お袋とも同じで、経理で毎月顔を合わせているとはいえ、80を超える年齢になるまで毎月来てもらっていたのだった。この実家の片づけはできなかったろうと思う。ここにも私の傲慢さがあるように思う。親戚との付き合いは少ない方だが、それでも帰ればお土産を一方的に持っていくことを繰り返していた。いい悪いではなく、それしかできなかったのだ。
私がわからなかったことは、やはり、私の都合ではないことに思いをはせることだった。親友が親戚が、お袋が何を考えて生きてきたのかをほんの少しでも考えてみるべきだったろう。そうしたことができていれば、今のような凋落は無かったかもしれない。まさにスキだらけだったのだ。
常にこれまでの間、私には私の立場しかなかったということ。これに尽きる。仕事が無くなったことも私の立場だけだ。もちろん、それではいけなかったということだ。仕事の幅を広げるということは、まさに付き合いを広げるということ、付き合いが無い、あるいは、広げようとしていないのに、広がるはずもないのだった。
主に出版社でやって来た私にとって、要求されるデータを作るだけがすべてだった。もちろん、提案はしたのだが、興味を持たれることはなかったのだ。付き合いを広げるといっても、言葉としては成り立つが、現実には非常に難しいものだったかもしれない。今となっては、どうなのかはわからない。
ただ、本当にあれこれ興味を持ち、もっともっと提案を出していたら、どうだったのだろうか。紙の出版だけではたちまち行き詰まる、それがわかっていたのだったら、何とかデータベースを作ることを目標に仕事は広げることができなかっただろうかと思う。
そして、相手のせいにばかりすることもできないだろう。結果が問われているわけなので、いかなる理由があろうとも、何とかするべき義務が私にはあったということ。今にして思うのは、タイミングがずれていたように思う。私の会社に好意的な人々もいたわけだから、もっとそういう人々とつながっていたらと思うのだ。
そうした、痛い思いを胸にこれから立ち上がるということを決意しておきたい。まだまだ私が気がついていないこともあるかもしれない。その都度取り込んで修正して行こう。
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