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まだ、去年のことなので今のうちに書いておきたい。私が東京を脱出したのが去年の末だった、そして、そう判断したのは去年の初めにインフルエンザンに罹り、何とか普通に動けるまでに一か月もかかるという事態を経験したからだった。

インフルエンザに罹ったのは事実でチェックもした。しかし、イナビルという抗ウイルスの薬を吸入したことがマイナスだったかもしれない。私も頭痛がひどく、極度に体力が落ちていたので、もしやと思い薬を使うことにした。確かに熱は下がったが、その後がひどかった。なかなか治らないのだ。

書いたように普通に食事もできて、男のたしなみである自慰も普通にできるようになったのは一か月もかかったということだった。これには私も驚いた。インフルエンザは、東京にいた頃何度も罹っている。チェックこそしていないが、症状でわかる。急激に熱が出て寝るしか何もできないのが、恐らくはインフルエンザだ。しかし、長くても一週間が相場だ。いくら私が歳をとったとしても症状が激しすぎると思えた。

これは、免疫力の低下しか考えられないと考えたわけだ。そして、この経験が決定的でどっちつかずの私も東京を離れることにしたわけだ。仕事という意味では東京の方がチャンスは多かったかもしれないが、私の寿命の方が早いということ。命が惜しいということではなかったが、みすみす東京で寿命を縮めることは口惜しく思えた。パートナーのことや会社のこともあり、なかなか判断ができなかったのだが、一時的にせよ離れることを決断し、昨年だらだらと準備してようやく年末に離脱したのだった。

言い訳になるのだが、体がだるくて動かなかった。これは、うつの症状だったかもしれない。ただ、もうそれはどうでも良かった。年内の早い時期に東京を離れることを決めたのだからと、準備して決行したのだった。この期間も空しいものだったが、私が味わわなければならない屈辱だった。

インフルエンザに罹ったのは、その前の週だったと思うが、出版ネッツとかいう組織があり、そこの会合に出てみてはとすすめられ行ったことが原因だった。さらにその前日あたりだったか、東京が大雪でこの日が冷蔵庫のように寒い日だったのだ。この時は、まだ東京をこんなに早く離れるとは思っていなかった。

仕事も無く、毎日、放射能におびえつつ生きるということが苦しかった。ここで、抗議行動の人々ともっとつながりができていれば、まだ東京にいたかもしれない。出版ネッツの会合はそういうことも可能かと思えたくらいだった。私はデジタルのことをいろんな人に聞いてみたが、皆さん、関心は無かった。しかし、出版がこんなに楽しいのかという感じの集まりだった。私にも発言の機会が与えられたが、体調も悪かったので呼ばれたが行かなかった。

ここでのつながりは何も無かったので私が感じたことは幻想だったかもしれない。確かにメールをたくさん出したが、返事は一通あっただけだった。やはり、何度も行って顔なじみにならないと無理かなどと思ったものだった。これまでの出版界に未来は無いと思うが、ここで出会ったやる気のある人々の作る世界は発展するのではと思えた。そして、デジタルも育つのではと思った。
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