×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今年になってからずっと何か新しい仕事を始めたいと思い、考えてはいるのだがなかなか考えがまとまらない。新しいといっても今の仕事の延長となるだろう。もっとも、全く違った仕事でも気に入れば挑戦すると思う。そちらの方が出会うのは難しいだろうが。
製薬メーカーが次々に悪魔の薬=デビルピルを生産し続けるのは、新薬が無いからだ。生き残るためには、きわどい実験結果も「公表」するし、不利な情報も隠蔽する。すべて、生きるためだ。いまさら、製薬メーカーを廃業できないからだ。だが、向精神薬にその傾向が顕著だが、強い依存性のある薬を医者に説明しないで売りつける姿勢は、個人的に処刑に値する犯罪だと思う。
私も生きるために、今の仕事をしている。10数年前の私には仕事が無かった。やる気満々なのに仕事が無かった。「やりがい」とか悠長なことを言っている暇など無かった。仕事そのものが無いのだから。何も無いので引っ越しのアルバイトをやっていた。やれないことはないのだが、非力であるし、長年、力仕事をやっていなかったしそれは疲れた。
私の一生もこれで終わりかと諦めかけたところに今の仕事が見つかった。だから、今の仕事は大切に思っている。ただ、あまりにも変化が無い。ずっとやって行く以上、変化があってもいいと思うのだが、変化もほとんど無い。さすがに、「勤続疲労」が出てきたのだった。
もちろん、これまでよく書いてきたように、自分が仕事への興味を失わないようにやるべきことはやっている。お金も使っている。しかし、それがどうしたと思うのだ。やはり、仕事仲間を増やすことや、後継者を育てて初めて一人前と言えるのではないかと思うわけだ。パートナーとやってきた8年間で相当なノウハウは、つかんだつもりだったが、結果として、そのパートナーを失うという現実があった。
自分のスキルは高まったかもしれないが、仕事場、会社の雰囲気を良くすることはできなかったのだった。今後は、誰もが「やりたい」と思うようなシステムを作らなければならないのだが、その基本は、「おしゃべり」だと思っている。無駄な話ほどいい。調子よくできていた頃は、パートナーと一日中、しゃべりながらやっていた。これがいいということにもっと早く気がつくべきだったろう。
パートナーが抜けた後、仕事場ではちょっとした変化が見えてきた。これまででは考えられなかったほどに、交流があるのだ。もちろん、決まった人たち同士での、という限定付きなのだが、かつてはそれさえもあまり無い状態だった。経験の長い私が、とにかくちゃぶちゃぶ話をすべきだったと思う。そこからいろんな話が始まればいいのだから。なぜ交流が増えたのかわからない。
もし、新しい仕事が見つかったら、迷うことなく「おしゃべり」をしたいと思う。仕事はもちろんするのだが、それよりも人と人との交流が大事なのだ。私生活ではともかく、仕事場ではしゃべりまくらなければならない。最近、自分の仕事はあまり進まないのに、えらく疲れるが、これは「交流」のせいだろうと思う。自己完結型の仕事だから、今まではほとんど話もせずに進めてきた。疲れないが、今度は夜も眠れないということもあり得る。
仕事とは、技術だけではできないものだ。そこで働く者同士の交流があって始めて成り立つ営みだ。ネットとコンピュータさえあればできる私たちの仕事でも同じ事だ。楽にやれる方法はいくらでも追求した方がいいのだが、シーンと黙ってやる雰囲気やサラリーマン的な勤務からは何も生まれない。やはり、何でも話せる雰囲気、自由に行動できる雰囲気、常に挑戦する気持ちを持てる雰囲気、これが仕事への活力を生む。経験の長い私がそうした雰囲気を醸し出すことが求められている。誰かがやってくれる、ではそれこそ勤続疲労から骨折になってしまう。
製薬メーカーが次々に悪魔の薬=デビルピルを生産し続けるのは、新薬が無いからだ。生き残るためには、きわどい実験結果も「公表」するし、不利な情報も隠蔽する。すべて、生きるためだ。いまさら、製薬メーカーを廃業できないからだ。だが、向精神薬にその傾向が顕著だが、強い依存性のある薬を医者に説明しないで売りつける姿勢は、個人的に処刑に値する犯罪だと思う。
私も生きるために、今の仕事をしている。10数年前の私には仕事が無かった。やる気満々なのに仕事が無かった。「やりがい」とか悠長なことを言っている暇など無かった。仕事そのものが無いのだから。何も無いので引っ越しのアルバイトをやっていた。やれないことはないのだが、非力であるし、長年、力仕事をやっていなかったしそれは疲れた。
私の一生もこれで終わりかと諦めかけたところに今の仕事が見つかった。だから、今の仕事は大切に思っている。ただ、あまりにも変化が無い。ずっとやって行く以上、変化があってもいいと思うのだが、変化もほとんど無い。さすがに、「勤続疲労」が出てきたのだった。
もちろん、これまでよく書いてきたように、自分が仕事への興味を失わないようにやるべきことはやっている。お金も使っている。しかし、それがどうしたと思うのだ。やはり、仕事仲間を増やすことや、後継者を育てて初めて一人前と言えるのではないかと思うわけだ。パートナーとやってきた8年間で相当なノウハウは、つかんだつもりだったが、結果として、そのパートナーを失うという現実があった。
自分のスキルは高まったかもしれないが、仕事場、会社の雰囲気を良くすることはできなかったのだった。今後は、誰もが「やりたい」と思うようなシステムを作らなければならないのだが、その基本は、「おしゃべり」だと思っている。無駄な話ほどいい。調子よくできていた頃は、パートナーと一日中、しゃべりながらやっていた。これがいいということにもっと早く気がつくべきだったろう。
パートナーが抜けた後、仕事場ではちょっとした変化が見えてきた。これまででは考えられなかったほどに、交流があるのだ。もちろん、決まった人たち同士での、という限定付きなのだが、かつてはそれさえもあまり無い状態だった。経験の長い私が、とにかくちゃぶちゃぶ話をすべきだったと思う。そこからいろんな話が始まればいいのだから。なぜ交流が増えたのかわからない。
もし、新しい仕事が見つかったら、迷うことなく「おしゃべり」をしたいと思う。仕事はもちろんするのだが、それよりも人と人との交流が大事なのだ。私生活ではともかく、仕事場ではしゃべりまくらなければならない。最近、自分の仕事はあまり進まないのに、えらく疲れるが、これは「交流」のせいだろうと思う。自己完結型の仕事だから、今まではほとんど話もせずに進めてきた。疲れないが、今度は夜も眠れないということもあり得る。
仕事とは、技術だけではできないものだ。そこで働く者同士の交流があって始めて成り立つ営みだ。ネットとコンピュータさえあればできる私たちの仕事でも同じ事だ。楽にやれる方法はいくらでも追求した方がいいのだが、シーンと黙ってやる雰囲気やサラリーマン的な勤務からは何も生まれない。やはり、何でも話せる雰囲気、自由に行動できる雰囲気、常に挑戦する気持ちを持てる雰囲気、これが仕事への活力を生む。経験の長い私がそうした雰囲気を醸し出すことが求められている。誰かがやってくれる、ではそれこそ勤続疲労から骨折になってしまう。
PR
Comment