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デジタルの仕事を通じて、私は少しの自信を得た。やはり、ゼロから自分でやって来たという経験は絶対の自信につながった。限界はあるものの、やれるという思いがある。さっぱりわからない状態から、やらざるを得ない状態に追い込まれ、それならやってやろうという段階に至ったわけだ。
東京に行った段階では、まだ、「教えてもらう人」であり、迷惑がられていた。現場では、経験者を必要としていたのであった。しかし、人を探す側から考えると大変だったろうと思う。某社の人が言っていたのだが、文字の扱いを専門とする仕事人は少ないからだ。印刷会社の仕事が近いが、彼らは、独自のデータを扱っている。私は、そういう状況の中に売り込みを行い、まんまと採用されたわけだった。
ただ、現場での軋轢は大きく、しばらくは相手にされなかったくらいだ。私も興味はあったのだが、手が出ず何もできずにいた。目の前に仕事はあったので、じきに仕事に忙殺されるようになって行った。一方で、仕事用のマシンでは冒険ができず、自分の思うままに使えるマシンが欲しくなって行った。ちょうど、時代はフリーOSの時代だった。私も自分のマシンにFreeBSD 2.1を入れて本格的なインターネット時代に対応して行った。
当時の私の悩みは、文字データの扱いに不慣れな上にOSも不慣れだったこと。わからないことだらけという状態だったのだ。だからといって投げ出すことは、仕事を失うことであり、誰かに聞くことも出来ない状態だった。仕事が特殊であり、聞こうにもいない状態だったのだ。
あきらめもあった。もちろん、逃げ道を用意してだが、辞退しようとしたこともあった。その時は運も味方して引き止められ、立場を変えて再挑戦することになった。一つの勢力として動いていたので歯が抜けるように人がいなくなるのを恐れたようだった、相手は。
踏みとどまった私は、まさにゼロからのスタートを切った。しかし、このことが幸いした。何でもゼロから研究したがる私にとって、まさに、やりたい放題だったのであった。研究書も手当たり次第、購入し勉強もやった。朝晩の通勤電車の中が勉強の場だった。PostgreSQLも地下鉄で勉強したのだった。そのおかげもあり、メーカーの用意するOS、データベースではなく、完全にフリーのもので仕事ができるようになったのだった。
東京に行った段階では、まだ、「教えてもらう人」であり、迷惑がられていた。現場では、経験者を必要としていたのであった。しかし、人を探す側から考えると大変だったろうと思う。某社の人が言っていたのだが、文字の扱いを専門とする仕事人は少ないからだ。印刷会社の仕事が近いが、彼らは、独自のデータを扱っている。私は、そういう状況の中に売り込みを行い、まんまと採用されたわけだった。
ただ、現場での軋轢は大きく、しばらくは相手にされなかったくらいだ。私も興味はあったのだが、手が出ず何もできずにいた。目の前に仕事はあったので、じきに仕事に忙殺されるようになって行った。一方で、仕事用のマシンでは冒険ができず、自分の思うままに使えるマシンが欲しくなって行った。ちょうど、時代はフリーOSの時代だった。私も自分のマシンにFreeBSD 2.1を入れて本格的なインターネット時代に対応して行った。
当時の私の悩みは、文字データの扱いに不慣れな上にOSも不慣れだったこと。わからないことだらけという状態だったのだ。だからといって投げ出すことは、仕事を失うことであり、誰かに聞くことも出来ない状態だった。仕事が特殊であり、聞こうにもいない状態だったのだ。
あきらめもあった。もちろん、逃げ道を用意してだが、辞退しようとしたこともあった。その時は運も味方して引き止められ、立場を変えて再挑戦することになった。一つの勢力として動いていたので歯が抜けるように人がいなくなるのを恐れたようだった、相手は。
踏みとどまった私は、まさにゼロからのスタートを切った。しかし、このことが幸いした。何でもゼロから研究したがる私にとって、まさに、やりたい放題だったのであった。研究書も手当たり次第、購入し勉強もやった。朝晩の通勤電車の中が勉強の場だった。PostgreSQLも地下鉄で勉強したのだった。そのおかげもあり、メーカーの用意するOS、データベースではなく、完全にフリーのもので仕事ができるようになったのだった。
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