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今日はこの国を変えてしまうくらいの暴挙に対して大規模な抗議行動がある。私も行きたいのだが、仕事も無いようでは難しい。むしろ、今の私のやるべき事は仕事を見つけること。営業でもいいし、アルバイトでもいい。
連日、受験や学問に対する書き込みをしたのだが、これは今でも私が受験や学問にこだわっていることを示している。勉強したいが、受験勉強したいわけではない。数学をやりたいが、「大学への数学」をやりたいわけではないのだ。先人がどう考えたのかを学びたいだけのこと。もちろん、それによって応用問題が解けるようになるのであれば、うれしいのだが。
ツイッターでは反論を頂いたが、受験は不要というのが私の結論だ。ただ、残すならばバイパスをというのが私の妥協点だ。私のように受験不適合の人間はけっこう多いと思うからだ。かつて読んだ『大学受験の教育学的研究』という本にもその記述があった。この本がスゴイのは共通一次が始まってすぐの頃に「一刻も早くやめるべき」と結論していたところ。それから、浪人の実態を把握していないという指摘をしたことであった。
考えてみれば、高校の用意する補習科に行けば、高校も把握はするが、面倒まで見ない。私の例だとかつての英語の教師が街でバッタリ出会った時「また、高校にけえ。」と言うくらいだ。彼は本当に心配してくれていたのだろうが、私は聞く耳を持っていなかった。高校は、確かに私の悩みを共に考えてくれる場ではないからだ。点数を見て、おめーはこの大学なら通る、などといった子供でもできることをやる場だった。私は嫌というほどそれを見て来たのだった。
私の悩みはそういう所には無く、勉強したいが受験がある以上、大学へは行けない、この矛盾をどう解決するのか、という点にあった。私が興味を持ったのは2浪の時に出会った教師だった。彼は、私の無謀な志望に対して反対しないどころか、がんばれと言うのだった。私立の受験を薦めたのも彼だった。結局、私はどこも受からず、彼を失望させたかもしれないが、いい人に出会ったという思いだった。彼にもどうしていいのかわからなかったかもしれない。成績が上がらない以上、受験は失敗する他ないのだから。それに対して議論は無いのだ。
現実の私は、さらにもう2年考えなければ結論を出せなかったのだった。私の性格上、教わる気はないのだから、何年かかろうとも自分で結論を出すことが重要だった。2浪の時に出会った恩師がそこまで考えていたのかどうかわからない。私の親と同じ世代だったので、子供の考えていることなど自明だったかもしれない。未熟だが、私も悩んだ。クスリなど飲んだことはないが、症状としては鬱状態だったのではないかと思う。確かに体はだるく、無駄に性欲を処理するのが日課だったような気がする。
社会の動きなど知る由もない当時の私だったが、微妙に感じていてがんばれば、何とかなる的な発想だったと思う。しかし、現実はびくともしない。どうするのか、を毎日悩み、ベロは真っ白、痔疾は悪化という日々だった。食欲は無いが、死なないために食していたという感じだった。4浪は最後の時間だった。これでがんばっても無理ならば、仕事をしながらでも勉強するというのが私のギリギリの判断だった。
連日、受験や学問に対する書き込みをしたのだが、これは今でも私が受験や学問にこだわっていることを示している。勉強したいが、受験勉強したいわけではない。数学をやりたいが、「大学への数学」をやりたいわけではないのだ。先人がどう考えたのかを学びたいだけのこと。もちろん、それによって応用問題が解けるようになるのであれば、うれしいのだが。
ツイッターでは反論を頂いたが、受験は不要というのが私の結論だ。ただ、残すならばバイパスをというのが私の妥協点だ。私のように受験不適合の人間はけっこう多いと思うからだ。かつて読んだ『大学受験の教育学的研究』という本にもその記述があった。この本がスゴイのは共通一次が始まってすぐの頃に「一刻も早くやめるべき」と結論していたところ。それから、浪人の実態を把握していないという指摘をしたことであった。
考えてみれば、高校の用意する補習科に行けば、高校も把握はするが、面倒まで見ない。私の例だとかつての英語の教師が街でバッタリ出会った時「また、高校にけえ。」と言うくらいだ。彼は本当に心配してくれていたのだろうが、私は聞く耳を持っていなかった。高校は、確かに私の悩みを共に考えてくれる場ではないからだ。点数を見て、おめーはこの大学なら通る、などといった子供でもできることをやる場だった。私は嫌というほどそれを見て来たのだった。
私の悩みはそういう所には無く、勉強したいが受験がある以上、大学へは行けない、この矛盾をどう解決するのか、という点にあった。私が興味を持ったのは2浪の時に出会った教師だった。彼は、私の無謀な志望に対して反対しないどころか、がんばれと言うのだった。私立の受験を薦めたのも彼だった。結局、私はどこも受からず、彼を失望させたかもしれないが、いい人に出会ったという思いだった。彼にもどうしていいのかわからなかったかもしれない。成績が上がらない以上、受験は失敗する他ないのだから。それに対して議論は無いのだ。
現実の私は、さらにもう2年考えなければ結論を出せなかったのだった。私の性格上、教わる気はないのだから、何年かかろうとも自分で結論を出すことが重要だった。2浪の時に出会った恩師がそこまで考えていたのかどうかわからない。私の親と同じ世代だったので、子供の考えていることなど自明だったかもしれない。未熟だが、私も悩んだ。クスリなど飲んだことはないが、症状としては鬱状態だったのではないかと思う。確かに体はだるく、無駄に性欲を処理するのが日課だったような気がする。
社会の動きなど知る由もない当時の私だったが、微妙に感じていてがんばれば、何とかなる的な発想だったと思う。しかし、現実はびくともしない。どうするのか、を毎日悩み、ベロは真っ白、痔疾は悪化という日々だった。食欲は無いが、死なないために食していたという感じだった。4浪は最後の時間だった。これでがんばっても無理ならば、仕事をしながらでも勉強するというのが私のギリギリの判断だった。
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