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薬を処方するのではなく、サプリメントを紹介してくれる病院に行ってみようと思っている。私の場合、今の季節にどうしてもくしゃみや目、顔のかゆみに襲われるので薬に頼ってしまうからだ。薬をやれば確実に症状は治まるのだが、いかにも体に悪そうだ。他人に薬を飲むなと言っておきながら、自分は、ちゃっかり飲んでいるわけだ。
サプリメントで治ればいいのだが、たぶん長期戦になるのだろう。サプリメントも高いだろうし。しかし、薬を使わないならば、それはむしろ安いと言うべきだ。自分が行ってみて、結果を近しい人にも伝えたいと思う。私を信用するもよし、無視するもよし。経験してみたことを正確に伝えるのみだ。
この本に書いてあったのだが、薬は体にとって毒なのだ。製薬会社も生き残りに必死で、もう「新薬」は生まれていないにもかかわらず、見かけ上の新薬を作り続ける必要がある。SSRIも無理して、薬にでっちあげて大成功したものなのだろう。これを許可する国家も、製薬会社から大きな金が入るのだと思う。犠牲になるのは、いつも力無き個人だ。
うつや統合失調症は、脳の病気で、治すには薬が第一選択だというのが製薬メーカーや医者、官僚にとっては「勝利の方程式」なのだと思う。それに対して、私は、薬は覚醒剤に等しい危ないものだし、うつや統合失調症という「病態」は、病態であって「脳の病気」ではないという立場だ。したがって、サプリメントや食事のバランスをとることで治ると思っている
。ただ、人間は、社会的な生き物なのでうつや統合失調症に陥った背景を変えずにサプリメントをやったり、食事に気をつけても状態は良くならないだろう。
現実には、調子を崩すきっかけとなった環境を変えることができず、サプリメントを飲んでも食事のバランスを気をつけても治らない。その結果、やはり、こういう説は嘘だとする医者や製薬メーカーの主張が正しいように印象づけられてしまうようだ。私のようにハナから薬は毒だ、自分は食事と場合によっては、サプリメントで治すのだ、とは思わない人の方が多いのだろう。
また、この連載を読んでいると、自己完結型の仕事とか、雑談があまり無いか、できない環境での仕事が、「うつ」を生みやすいことがわかる。私の経験でもそのようなことが言えると思う。人間は、常に他人と接していなければ、おかしくなるものなのだ。私のように、誰ともしゃべりたくない者の方が変態だと言える。すべての人の仕事が雑談や笑いに満ちたものならばいいのだが、ほとんどの人にとって仕事とは、つまらないものと思いこまされている。これでは、製薬メーカー、医者、官僚の三悪でうつで悩む人が毎年のように増え続け、自殺者が3万人を超えるはずだ。
私は、自身が「楽しい仕事場」を作れなかっただけに、今でもこの点にこだわっている。楽しいとは、わかることでもある。私が過去やってきたことは、まず、わからないことを無くす努力だ。よく、会社の中でのつきあいというのを負担に思う人がいるのだが、そんなものは無視してもいい。問題は、そういう自分をマネージメントしてくれる人がいるかどうかは見極めなければならない。いなければ、それなりに自分で楽しみを見つけなければ、やがてはうつになりかねない。自分の趣味やそれに対する投資を続ける限り大丈夫だが、お金をためることだけが趣味だという人は、かなりアブナイ。
仕事をわかる努力と投資、遊ぶこととそれへの投資、これに適度な運動と栄養のバランスが加われば、ほぼ大丈夫ではないか?もう一つ欲しいのは、初期仏教的な、ものの考え方だ。たとえば、うつを招きそうな上司がいる職場で生きるためには、その上司をまともに相手にしてはいけない。自分に実力がつくまではひたすら、「かわす」ことだ。そうして実力を養いつつ、時機を見て逆襲することだ。職場で悪い雰囲気をまきちらす人がいるが、本当は、これこそが、「脳の病気」と言わなければならないと思う。SSRIでも何でも飲んでもらいたいものだ。
私もそうだったが、「若さ」がなかなか、「かわす」ということを容認しない。まともにぶちあたってしまうので、どうしても力が弱い方が我慢して自分の心を壊してしまうのだ。そうではなくて、一種のあきらめの気持ちをもつことだ。とりあえずは、話し合っても理解し合えないことは確かなので、無視するということでもある。かわしながら、つきあうというのがそれだ。口もきかないということではない。
暴力に走る元気があるならば、ひたすら仕事でわからないところを勉強することだ。これには、相当なパワーが必要なので、ちょうどいいと思う。私も、ものの考え方に、初期仏教でかじった知識を取り入れるようになって楽になった。心を冷静にして、自分の目標に向かって進めるようにする教えなのだと思う。うつをもたらす人間とまともにやり合うようでは、まだまだ冷静とは言えないのだ。
私もまわりの人にうつを引き起こす人間だったかもしれない疑惑がある。それだけに今は、慎重になっている。私の仕事をする立場は、「金儲け」ではない。ある程度の経験があれば、そこそこ仕事ができて、ちょこっと金を稼げるのは当然だ。だから、現実がそうであっても少しも自慢できることではないのだ。本当の「義務」はその先にある。そう、自分と同じように行動できる仲間、後継者をいかに育てたか、によって評価できるか、できないかが決まる。
考えてみれば、この当たり前のことができていない仕事場に悲劇があると私は見ている。企業の規模の大小ではなく、トップやその仕事場を任されている人間のキャラクターに依存してしまうのだ。「金儲け」が目標でもいいのだが、儲けられない部署でそれを目標としたら、大きな誤算しかもたらさない。いろんな性格の人間で構成されている仕事。一番詳しい人間が注目されやすいが、真実はそうではない。入社したばかりの人間であってもその仕事にかかわっているという意味では、重要な役割を担っている。その人がいなければ仕事は完結しないのだ。その意味で、自信を持って欲しい。
サプリメントで治ればいいのだが、たぶん長期戦になるのだろう。サプリメントも高いだろうし。しかし、薬を使わないならば、それはむしろ安いと言うべきだ。自分が行ってみて、結果を近しい人にも伝えたいと思う。私を信用するもよし、無視するもよし。経験してみたことを正確に伝えるのみだ。
この本に書いてあったのだが、薬は体にとって毒なのだ。製薬会社も生き残りに必死で、もう「新薬」は生まれていないにもかかわらず、見かけ上の新薬を作り続ける必要がある。SSRIも無理して、薬にでっちあげて大成功したものなのだろう。これを許可する国家も、製薬会社から大きな金が入るのだと思う。犠牲になるのは、いつも力無き個人だ。
うつや統合失調症は、脳の病気で、治すには薬が第一選択だというのが製薬メーカーや医者、官僚にとっては「勝利の方程式」なのだと思う。それに対して、私は、薬は覚醒剤に等しい危ないものだし、うつや統合失調症という「病態」は、病態であって「脳の病気」ではないという立場だ。したがって、サプリメントや食事のバランスをとることで治ると思っている
。ただ、人間は、社会的な生き物なのでうつや統合失調症に陥った背景を変えずにサプリメントをやったり、食事に気をつけても状態は良くならないだろう。
現実には、調子を崩すきっかけとなった環境を変えることができず、サプリメントを飲んでも食事のバランスを気をつけても治らない。その結果、やはり、こういう説は嘘だとする医者や製薬メーカーの主張が正しいように印象づけられてしまうようだ。私のようにハナから薬は毒だ、自分は食事と場合によっては、サプリメントで治すのだ、とは思わない人の方が多いのだろう。
また、この連載を読んでいると、自己完結型の仕事とか、雑談があまり無いか、できない環境での仕事が、「うつ」を生みやすいことがわかる。私の経験でもそのようなことが言えると思う。人間は、常に他人と接していなければ、おかしくなるものなのだ。私のように、誰ともしゃべりたくない者の方が変態だと言える。すべての人の仕事が雑談や笑いに満ちたものならばいいのだが、ほとんどの人にとって仕事とは、つまらないものと思いこまされている。これでは、製薬メーカー、医者、官僚の三悪でうつで悩む人が毎年のように増え続け、自殺者が3万人を超えるはずだ。
私は、自身が「楽しい仕事場」を作れなかっただけに、今でもこの点にこだわっている。楽しいとは、わかることでもある。私が過去やってきたことは、まず、わからないことを無くす努力だ。よく、会社の中でのつきあいというのを負担に思う人がいるのだが、そんなものは無視してもいい。問題は、そういう自分をマネージメントしてくれる人がいるかどうかは見極めなければならない。いなければ、それなりに自分で楽しみを見つけなければ、やがてはうつになりかねない。自分の趣味やそれに対する投資を続ける限り大丈夫だが、お金をためることだけが趣味だという人は、かなりアブナイ。
仕事をわかる努力と投資、遊ぶこととそれへの投資、これに適度な運動と栄養のバランスが加われば、ほぼ大丈夫ではないか?もう一つ欲しいのは、初期仏教的な、ものの考え方だ。たとえば、うつを招きそうな上司がいる職場で生きるためには、その上司をまともに相手にしてはいけない。自分に実力がつくまではひたすら、「かわす」ことだ。そうして実力を養いつつ、時機を見て逆襲することだ。職場で悪い雰囲気をまきちらす人がいるが、本当は、これこそが、「脳の病気」と言わなければならないと思う。SSRIでも何でも飲んでもらいたいものだ。
私もそうだったが、「若さ」がなかなか、「かわす」ということを容認しない。まともにぶちあたってしまうので、どうしても力が弱い方が我慢して自分の心を壊してしまうのだ。そうではなくて、一種のあきらめの気持ちをもつことだ。とりあえずは、話し合っても理解し合えないことは確かなので、無視するということでもある。かわしながら、つきあうというのがそれだ。口もきかないということではない。
暴力に走る元気があるならば、ひたすら仕事でわからないところを勉強することだ。これには、相当なパワーが必要なので、ちょうどいいと思う。私も、ものの考え方に、初期仏教でかじった知識を取り入れるようになって楽になった。心を冷静にして、自分の目標に向かって進めるようにする教えなのだと思う。うつをもたらす人間とまともにやり合うようでは、まだまだ冷静とは言えないのだ。
私もまわりの人にうつを引き起こす人間だったかもしれない疑惑がある。それだけに今は、慎重になっている。私の仕事をする立場は、「金儲け」ではない。ある程度の経験があれば、そこそこ仕事ができて、ちょこっと金を稼げるのは当然だ。だから、現実がそうであっても少しも自慢できることではないのだ。本当の「義務」はその先にある。そう、自分と同じように行動できる仲間、後継者をいかに育てたか、によって評価できるか、できないかが決まる。
考えてみれば、この当たり前のことができていない仕事場に悲劇があると私は見ている。企業の規模の大小ではなく、トップやその仕事場を任されている人間のキャラクターに依存してしまうのだ。「金儲け」が目標でもいいのだが、儲けられない部署でそれを目標としたら、大きな誤算しかもたらさない。いろんな性格の人間で構成されている仕事。一番詳しい人間が注目されやすいが、真実はそうではない。入社したばかりの人間であってもその仕事にかかわっているという意味では、重要な役割を担っている。その人がいなければ仕事は完結しないのだ。その意味で、自信を持って欲しい。
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