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私は去年の11月いっぱいで国会周辺の抗議行動は行っていない。二年前の大飯原発再稼働に触発されて行くようになった。当初は、もっと早く決着がつくと思えたが、歴史的な経験ではそんなはずもなかった。そのうち、私の会社も危なくなり、私の体調も思わしくなくなった。仕事はやりたいものの、放射能にやられたかもしれないという不安を抱えたままでは、先に進めない気がした。営業もままならず、心ならずも撤退を決めた。
撤退したからといって急速に体調がよくなるわけでもない。やはり、いろんな所にガタが来ているのではと思う。もちろん、やる気とは裏腹に仕事も見つからず、ここまで来た。私の場合、就職といっても年齢的に難しい。私自身も就職ではなく会社の復興を目指していた。先日、方針転換して職安に行ってみた。景気がいいなど誰も信用していないが、大にぎわいだった。やはり、想像以上に深刻なのだ。目についた所を紹介してもらったが、返事も無かった。私の歳では企業から見れば「頼むから死んでくれんか!」というところか。
もちろん、死んでもいいのだが、誰もすぐには死ねないから困っている。そして、勇気づけられ、何かしてから考えればいいことと思い直す。しかし、仕事は探すと見つからないという法則があるような気がする。私のように東京に17年もいたがコネを作れなかった者は、なかなか仕事を探すことは難しいのだ。一応、これでも質にこだわって仕事をしてきた。出版社にはいい加減な人間が多い。苦労したということだ。(; ̄ェ ̄)
それで、これからどうするのか。今週は、それを考えていたのだが、何かをやりながら営業は続けるということしかないなという結論となった。見つからないならば、永遠にプーだろう。それは覚悟した方がいいと思った。私は、18年前の失職が非常に心細かったので、東京ではそれなりに頑張った。文字を扱う仕事では、そこそこやれるのではという自負はある。私が予測できなかったのは、確かに自分は高まったかもしれないが、仕事先の連中、とりわけ私に金を出していた連中は少しも進歩していなかったのだ。電子書籍元年だとぶち上げながら、文字コードの区別すらつかない。( ̄◇ ̄;)
彼らのような、遺物からすれば、私などはもう要らない存在だった。金は持っているので即、打ち切りはしなかったようだが、私には地獄だった。彼らと付き合いがあったわけではなく、この2年の間に世代が勝手に入れ替わっただけのこと。文字を扱うには、それなりの経験がいるのだが、自分たちが高まろうとせずに、「経費」を削減し、見かけ上、出入りを改善したかったようだ。文字をどう扱うか、というのがこれからのポイントだと思うが、扱えないと宣言したも同然だった。堕ちて行くしかないのだろう。
私は、どう思うかと言われれば、そのように答えるのだが、連中の考えを受け入れる気は無い。やはり、愚直にデジタルデータを作って行き、支持されることを考えるしかないのだ。先日、営業の文章を書いていて、その一部を先方に披露したが、気がついてくれただろうか。目先の儲けに目が眩む人間には見えないと思う。
誰も好き好んで東京で抗議行動をしているわけではない。今でも首都であるし、支配者たちが蠢いているだけに仕方なく、命がけの行動をしているに過ぎない。しばらく通った私にはわかるような気がする。去年の秋口だったが、いつも私の近くに座り、おにぎりを食べつつ「再稼働反対!」を唱えるおばあちゃんがいた。私が今でもいたら、親しくなっていたかもしれない。
だから、思ったのだ、また、東京の会社と仕事をしてーなと。そうすれば、出張と称して月に何日かは行けるだろう。当然、抗議行動のある日は参加するだろう。世の中を変えるとは、そういう所から始まるような気がして。今こうしてあてもなく書いているのは、言葉にしないと何事も始まらないから。口にすることから、スケジュールも動き出す。
撤退したからといって急速に体調がよくなるわけでもない。やはり、いろんな所にガタが来ているのではと思う。もちろん、やる気とは裏腹に仕事も見つからず、ここまで来た。私の場合、就職といっても年齢的に難しい。私自身も就職ではなく会社の復興を目指していた。先日、方針転換して職安に行ってみた。景気がいいなど誰も信用していないが、大にぎわいだった。やはり、想像以上に深刻なのだ。目についた所を紹介してもらったが、返事も無かった。私の歳では企業から見れば「頼むから死んでくれんか!」というところか。
もちろん、死んでもいいのだが、誰もすぐには死ねないから困っている。そして、勇気づけられ、何かしてから考えればいいことと思い直す。しかし、仕事は探すと見つからないという法則があるような気がする。私のように東京に17年もいたがコネを作れなかった者は、なかなか仕事を探すことは難しいのだ。一応、これでも質にこだわって仕事をしてきた。出版社にはいい加減な人間が多い。苦労したということだ。(; ̄ェ ̄)
それで、これからどうするのか。今週は、それを考えていたのだが、何かをやりながら営業は続けるということしかないなという結論となった。見つからないならば、永遠にプーだろう。それは覚悟した方がいいと思った。私は、18年前の失職が非常に心細かったので、東京ではそれなりに頑張った。文字を扱う仕事では、そこそこやれるのではという自負はある。私が予測できなかったのは、確かに自分は高まったかもしれないが、仕事先の連中、とりわけ私に金を出していた連中は少しも進歩していなかったのだ。電子書籍元年だとぶち上げながら、文字コードの区別すらつかない。( ̄◇ ̄;)
彼らのような、遺物からすれば、私などはもう要らない存在だった。金は持っているので即、打ち切りはしなかったようだが、私には地獄だった。彼らと付き合いがあったわけではなく、この2年の間に世代が勝手に入れ替わっただけのこと。文字を扱うには、それなりの経験がいるのだが、自分たちが高まろうとせずに、「経費」を削減し、見かけ上、出入りを改善したかったようだ。文字をどう扱うか、というのがこれからのポイントだと思うが、扱えないと宣言したも同然だった。堕ちて行くしかないのだろう。
私は、どう思うかと言われれば、そのように答えるのだが、連中の考えを受け入れる気は無い。やはり、愚直にデジタルデータを作って行き、支持されることを考えるしかないのだ。先日、営業の文章を書いていて、その一部を先方に披露したが、気がついてくれただろうか。目先の儲けに目が眩む人間には見えないと思う。
誰も好き好んで東京で抗議行動をしているわけではない。今でも首都であるし、支配者たちが蠢いているだけに仕方なく、命がけの行動をしているに過ぎない。しばらく通った私にはわかるような気がする。去年の秋口だったが、いつも私の近くに座り、おにぎりを食べつつ「再稼働反対!」を唱えるおばあちゃんがいた。私が今でもいたら、親しくなっていたかもしれない。
だから、思ったのだ、また、東京の会社と仕事をしてーなと。そうすれば、出張と称して月に何日かは行けるだろう。当然、抗議行動のある日は参加するだろう。世の中を変えるとは、そういう所から始まるような気がして。今こうしてあてもなく書いているのは、言葉にしないと何事も始まらないから。口にすることから、スケジュールも動き出す。
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