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私が今年、追い出し部屋から、さらに追い出し机に追いやられ、さらに追放されなければならなかった理由は、私に能力が無かったとすれば簡単なのだが、それ以外にも敗因はあるのだろう。たとえば、会社組織の問題。
数年前、担当ともめたことがあった。基本はお金のことだが、スケジュールの問題が根本にあった。コンテンツをどれだけこなすかでお金を決めていたわけではないのだが、金を出す側は、給料的に払うのを嫌がった。どうせ払うなら、とことん使いつぶせということで私たちは使われたわけだ。そこで私の力不足が出た。つまり、相手がそうであってもできる量は決まっているので、そこを理解させれば良かった。それが正面衝突してしまい、私は上司に頼ってしまった。
普通は、それでもうまく行かずそこでおしまいのような雰囲気だが、当時はまともな役員が監視していたのでうまく行った。話し合いがもたれたのだが、そこではなんと「お金も含めて協力する」という言葉を引き出すことができたのだった。私は喜んだのだが、相手としてみれば、数年で終わるポスト、言うだけなら只という言葉だった。ただ、この時の相手は、そう悪党ではなかったと思う。よく相談にものってもらった。肝心のお金についてはとうとう協力が得られなかったのだ。
その意味で、私が会社組織というものを知っていたら、期限内に何かをやってもらうよう要求しただろうと思う。私のやったことといえば、仕事をこなすためにも人を増やしたいということのみだった。現実には、私の会社もがんばり、少ない中から経費を捻出して人を雇ったりしたのだが、最後まで育てきれず、辞めてしまわれるという始末だった。今から思えば、その方が良かったのかもしれない。
さらに私の体調不良をきっかけに、社内の人間がほとんど体調不良という事態を招いてしまった。これも初めて経験することなので仕方なかったと言えばそれまでだが、いかにも素人経営者であった。こんなことでは、生きていけないということだが、それは今証明されている。
結局、私たちの仕事がそんなに評価されていなかったということが大きい。電子辞書の仕事が中心だったが、それをやる上である時点から、わけのわからない連中が出てきたことも大きかった。理解していないだけに営業などまるでできなかったようだ。元々は、仕事が欲しいのでぶんどったという面があったのだが、やっているうちにわけがわからなくなったのだろう。そして、その連中こそが今年の春まで一緒の部屋にいた連中だった。デジタルの仕事の意味も価値もわからない。だから、連中には私など必要は無かったのだった。
同じ職場で、内部的な対立があったのも痛かった。うちではないのだが、先方の社員同士が犬猿の仲になり、会話が無かった。これでは、仕事も進まないのは当然だろう。私のいた部署は無くなってしまい、当然、私もお荷物となったわけだ。後を引き継いだ社員は、「部署が無くなったのだから、クビになるのは当然だ。」とまで言ってのけた。悔しかったが、理解していない連中にはそれ以上言ってみても無駄なことだったのだ。
会社というものをうまく扱い、掌でころがせれば良かったのだが、私は終始ころばされていたようだ。私としても、その意味での仕事には慣れていなかった。結果的に社員を手放すハメになったのが、今でも苦しい。先に進むために、あえて口にしてはいなかったが、すまないという気持ちばかりだ。政治と同じで、結果が全てだ。会社を維持できないような経営者はだめなのだった。
数年前、担当ともめたことがあった。基本はお金のことだが、スケジュールの問題が根本にあった。コンテンツをどれだけこなすかでお金を決めていたわけではないのだが、金を出す側は、給料的に払うのを嫌がった。どうせ払うなら、とことん使いつぶせということで私たちは使われたわけだ。そこで私の力不足が出た。つまり、相手がそうであってもできる量は決まっているので、そこを理解させれば良かった。それが正面衝突してしまい、私は上司に頼ってしまった。
普通は、それでもうまく行かずそこでおしまいのような雰囲気だが、当時はまともな役員が監視していたのでうまく行った。話し合いがもたれたのだが、そこではなんと「お金も含めて協力する」という言葉を引き出すことができたのだった。私は喜んだのだが、相手としてみれば、数年で終わるポスト、言うだけなら只という言葉だった。ただ、この時の相手は、そう悪党ではなかったと思う。よく相談にものってもらった。肝心のお金についてはとうとう協力が得られなかったのだ。
その意味で、私が会社組織というものを知っていたら、期限内に何かをやってもらうよう要求しただろうと思う。私のやったことといえば、仕事をこなすためにも人を増やしたいということのみだった。現実には、私の会社もがんばり、少ない中から経費を捻出して人を雇ったりしたのだが、最後まで育てきれず、辞めてしまわれるという始末だった。今から思えば、その方が良かったのかもしれない。
さらに私の体調不良をきっかけに、社内の人間がほとんど体調不良という事態を招いてしまった。これも初めて経験することなので仕方なかったと言えばそれまでだが、いかにも素人経営者であった。こんなことでは、生きていけないということだが、それは今証明されている。
結局、私たちの仕事がそんなに評価されていなかったということが大きい。電子辞書の仕事が中心だったが、それをやる上である時点から、わけのわからない連中が出てきたことも大きかった。理解していないだけに営業などまるでできなかったようだ。元々は、仕事が欲しいのでぶんどったという面があったのだが、やっているうちにわけがわからなくなったのだろう。そして、その連中こそが今年の春まで一緒の部屋にいた連中だった。デジタルの仕事の意味も価値もわからない。だから、連中には私など必要は無かったのだった。
同じ職場で、内部的な対立があったのも痛かった。うちではないのだが、先方の社員同士が犬猿の仲になり、会話が無かった。これでは、仕事も進まないのは当然だろう。私のいた部署は無くなってしまい、当然、私もお荷物となったわけだ。後を引き継いだ社員は、「部署が無くなったのだから、クビになるのは当然だ。」とまで言ってのけた。悔しかったが、理解していない連中にはそれ以上言ってみても無駄なことだったのだ。
会社というものをうまく扱い、掌でころがせれば良かったのだが、私は終始ころばされていたようだ。私としても、その意味での仕事には慣れていなかった。結果的に社員を手放すハメになったのが、今でも苦しい。先に進むために、あえて口にしてはいなかったが、すまないという気持ちばかりだ。政治と同じで、結果が全てだ。会社を維持できないような経営者はだめなのだった。
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