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久しぶりに、「眠り」ネタを書こうと思う。私が一番信頼しているのは、『睡眠障害相談室』の粂和彦氏だ。「眠りの悩み相談室」という本も読んだ。ネットの情報だけだと、よくあるアブナイ先生のような感じだが、著書をよく読むとそうでもなさそうだとわかった。睡眠薬という選択肢も用意しているのは、その自信からくるものかもしれない。
現在の精神科や内科のような、無茶苦茶な処方などしていないし、一度処方したならきちんと断薬まで指導しているのかもしれない。今の睡眠薬は、ベンゾジアゼピン誘導体からできているものがほとんで、軽いものは、「抗不安薬」としても処方される。
経験から言うと、睡眠薬はかなり危険な薬だ。自殺こそできないのだが、一度飲み始めると、それこそ死ぬまで飲まされるはめになる。アホな医者が処方するとそうなる。私の研究では、「不眠」治療は、内科医や精神科医の仕事ではないのだ。睡眠専門の医者がいるとしたならば、そちらの仕事になる。
便秘もそうなのだが、そういう反応が出ている以上は、「原因」を解決しなければ、治療は難しい。便秘→下剤、不眠→睡眠薬という発想が許されるのならば、医者は不要なのだ。現状では、そうは言っても目の前の「患者」に帰宅してもらいたいという理由で危険な薬を、「安全」と偽って処方することになっている。
この国では、ベンゾジアゼピン誘導体の薬を「依存性」が無いとしている。国家も医者もグルでそのウソにのっかっているだけのことだ。この薬を処方したがる医者は、「キチガイ」だと思っていい。勉強する能力も無く、調べるという能力も無い。代わりに藁にもすがる気持ちで来ている「患者」を切れ気味に恫喝する手法に長けている。これが、狂人でなくて何だと言えるのか。
話は、それたが「睡眠」の悩みは深いようで単純だ。私はそのことをこの先生の本で学んだ。運動することやカフェインを制限することで何とか強力な不眠は避けることはできるのだが、気になりだしたら、なかなか頭から離れないのが、不眠の悩みなのだ。
私は、母の不眠を解決したかったので、高齢者の不眠のことを特に調べたのだが、先生が言うには、不眠の原因は「夜」ではないということ。要するに、疲れていないから眠れない、それだけのことなのだ。しかも、若い頃と同じように眠れないと調子が悪くなるのではないのかという誤解もある。高齢になると基礎代謝も減るので日中、多少の活動をしなければさすがに疲れない。運動したり、頭を使ったりして、その結果として眠りがあるのだ。
眠れないと訴える人のほとんどは、では、眠れない時に何をするかという選択肢が無い。従って、眠れない時には何をするのかを考えれば、ほぼ解決に向かう。それだけ、単純な問題なのだ。多少の運動と、眠れない時の手当て、これは、若い人にも共通している。私ならば、眠れない時には、一度起きあがって、ミニパソコンでネットを散策する。午前2時頃までやっているとさすがに目がしょぼしょぼしてくる。高齢者の場合は、夜更かしをした方がいいそうだ。12時頃まで夜を楽しみ、朝は、普通に7時頃起きればいいのだ。肝心なことは、夜・昼関係なく、やれることを増やすことだ。
現在、私は特に眠れないという悩みは無いのだが、早く目が覚めるということはほぼ定着してきている。あまりに続くとさすがにシンドイので、一定の期間をおいて早く寝るようにしている。それから、睡眠の儀式として、必ずipodで音楽を流すようにしている。音楽といってもマイケルの笛か自然音だ。無くても大丈夫だが、流せばそれだけ安心できる。
医者も、すべてがこの先生のように解説してくれればいいのだが、頭が足らないのか、儲けるためか、薬の処方を続けて医者でございと今を生きている。この国では、医者でさえも劣化してきている。彼らの多くには、倫理も哲学も無い。意外に儲からない職なので、薬で儲けたいということなのだろうか。
現在の精神科や内科のような、無茶苦茶な処方などしていないし、一度処方したならきちんと断薬まで指導しているのかもしれない。今の睡眠薬は、ベンゾジアゼピン誘導体からできているものがほとんで、軽いものは、「抗不安薬」としても処方される。
経験から言うと、睡眠薬はかなり危険な薬だ。自殺こそできないのだが、一度飲み始めると、それこそ死ぬまで飲まされるはめになる。アホな医者が処方するとそうなる。私の研究では、「不眠」治療は、内科医や精神科医の仕事ではないのだ。睡眠専門の医者がいるとしたならば、そちらの仕事になる。
便秘もそうなのだが、そういう反応が出ている以上は、「原因」を解決しなければ、治療は難しい。便秘→下剤、不眠→睡眠薬という発想が許されるのならば、医者は不要なのだ。現状では、そうは言っても目の前の「患者」に帰宅してもらいたいという理由で危険な薬を、「安全」と偽って処方することになっている。
この国では、ベンゾジアゼピン誘導体の薬を「依存性」が無いとしている。国家も医者もグルでそのウソにのっかっているだけのことだ。この薬を処方したがる医者は、「キチガイ」だと思っていい。勉強する能力も無く、調べるという能力も無い。代わりに藁にもすがる気持ちで来ている「患者」を切れ気味に恫喝する手法に長けている。これが、狂人でなくて何だと言えるのか。
話は、それたが「睡眠」の悩みは深いようで単純だ。私はそのことをこの先生の本で学んだ。運動することやカフェインを制限することで何とか強力な不眠は避けることはできるのだが、気になりだしたら、なかなか頭から離れないのが、不眠の悩みなのだ。
私は、母の不眠を解決したかったので、高齢者の不眠のことを特に調べたのだが、先生が言うには、不眠の原因は「夜」ではないということ。要するに、疲れていないから眠れない、それだけのことなのだ。しかも、若い頃と同じように眠れないと調子が悪くなるのではないのかという誤解もある。高齢になると基礎代謝も減るので日中、多少の活動をしなければさすがに疲れない。運動したり、頭を使ったりして、その結果として眠りがあるのだ。
眠れないと訴える人のほとんどは、では、眠れない時に何をするかという選択肢が無い。従って、眠れない時には何をするのかを考えれば、ほぼ解決に向かう。それだけ、単純な問題なのだ。多少の運動と、眠れない時の手当て、これは、若い人にも共通している。私ならば、眠れない時には、一度起きあがって、ミニパソコンでネットを散策する。午前2時頃までやっているとさすがに目がしょぼしょぼしてくる。高齢者の場合は、夜更かしをした方がいいそうだ。12時頃まで夜を楽しみ、朝は、普通に7時頃起きればいいのだ。肝心なことは、夜・昼関係なく、やれることを増やすことだ。
現在、私は特に眠れないという悩みは無いのだが、早く目が覚めるということはほぼ定着してきている。あまりに続くとさすがにシンドイので、一定の期間をおいて早く寝るようにしている。それから、睡眠の儀式として、必ずipodで音楽を流すようにしている。音楽といってもマイケルの笛か自然音だ。無くても大丈夫だが、流せばそれだけ安心できる。
医者も、すべてがこの先生のように解説してくれればいいのだが、頭が足らないのか、儲けるためか、薬の処方を続けて医者でございと今を生きている。この国では、医者でさえも劣化してきている。彼らの多くには、倫理も哲学も無い。意外に儲からない職なので、薬で儲けたいということなのだろうか。
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久しぶりに夕べは6時間も寝た。一昨日は、1時間しか寝ていないので当然だった。しかし、睡眠障害の人は、たとえ1時間しか寝ていなくとも、眠れないのだろう。確かにそれはたいへんな苦しみだろう。
6時間眠れば、相当気分がいい。1日にできることは、たかがしれているのだが、何でもすべてやってやろうなどと考えてしまう。あまりにこの考えにこだわると、「思考の下痢」状態になり、かえって何も考えたくなくなることもあるので注意が必要だ。今日などは、DSでもやってやろうかという気分なので、そうとう調子がいいということになる。
私は、この1年間で睡眠について自分なりに研究してある結論を得た。眠れないのは、「夜」に原因があるわけではないということ。眠ることが長寿ということではないこと。そして、眠れなくとも仕事をしつつ生きる術はあるということを確認したことなどだ。
最初の結論は、要するに疲れていないから眠れないということで、眠れないならば何をするのかを用意しておけばいいだけのこと。眠りは、一日の活動の成果としてあるので昼寝をしたり、ゴロゴロしているだけでは眠気は来ないのだ。考え、運動し、仕事をもこなすとさすがに眠たくなる。次の結論は、私の父だ。よく眠れる人だったが、60歳で逝ってしまった。しかも、快食家でありよく食べる人だった。睡眠が良好だといっても長く生きられるわけではないのだ。最後の結論は、自分の経験に基づくものだ。眠れなくとも、自分が興味を引かれる仕事があれば意外に元気だったことを思い出したのだ。眠れなくとも、気分転換を頻繁にすることで仕事は可能なのだ。
今の私にとって、不眠に対抗する手段として「薬」という選択は無い。他の人にもそうあって欲しいと願っている。ベンゾジアゼピン誘導体の薬を頓服的に服用したら、離脱症状がずっと続くことになり、地獄の苦しみが続く。その状態は、確かに「脳の病気」を想像させるが、薬がその状態を作り出していることを忘れてはいけない。
6時間眠れば、相当気分がいい。1日にできることは、たかがしれているのだが、何でもすべてやってやろうなどと考えてしまう。あまりにこの考えにこだわると、「思考の下痢」状態になり、かえって何も考えたくなくなることもあるので注意が必要だ。今日などは、DSでもやってやろうかという気分なので、そうとう調子がいいということになる。
私は、この1年間で睡眠について自分なりに研究してある結論を得た。眠れないのは、「夜」に原因があるわけではないということ。眠ることが長寿ということではないこと。そして、眠れなくとも仕事をしつつ生きる術はあるということを確認したことなどだ。
最初の結論は、要するに疲れていないから眠れないということで、眠れないならば何をするのかを用意しておけばいいだけのこと。眠りは、一日の活動の成果としてあるので昼寝をしたり、ゴロゴロしているだけでは眠気は来ないのだ。考え、運動し、仕事をもこなすとさすがに眠たくなる。次の結論は、私の父だ。よく眠れる人だったが、60歳で逝ってしまった。しかも、快食家でありよく食べる人だった。睡眠が良好だといっても長く生きられるわけではないのだ。最後の結論は、自分の経験に基づくものだ。眠れなくとも、自分が興味を引かれる仕事があれば意外に元気だったことを思い出したのだ。眠れなくとも、気分転換を頻繁にすることで仕事は可能なのだ。
今の私にとって、不眠に対抗する手段として「薬」という選択は無い。他の人にもそうあって欲しいと願っている。ベンゾジアゼピン誘導体の薬を頓服的に服用したら、離脱症状がずっと続くことになり、地獄の苦しみが続く。その状態は、確かに「脳の病気」を想像させるが、薬がその状態を作り出していることを忘れてはいけない。
数年前に「不安」に陥って不眠を経験してから、音に敏感になってしまった。寝る時には神経質にも必ずipodで音を流すようになってしまった。疲れている時には、忘れることもあるのだが、それは例外と言える。
最近では、マイケルの吹くアナサジフルートの音色を子守歌にしている。「RAIN BIRD」というCDだ。なぜこんなもので眠れるのかわからないのだが、我が龍雲の音楽よりもシンプルだからだろうか。アナサジフルートとシンセサイザーだけの音なのだが、脳は安らぎを感じるらしい。
そして、夜中に目を覚ましてしまった時には、奥入瀬の音を流す。これは、川の流れる音がひたすら続くのみのCDだ。私は、水の流れる音、滝の音で安らぎを感じるのでこれを利用しているわけだ。海の音、波の音が好きな人は、そちらを利用しなければ、かえって目がさえてしまうことは言うまでもない。
そして、自分の吹く尺八やアナサジフルートの音はどうなのかと思うが、これについては近々録音して聴いてみようと思う。確かに自分で吹いても心は落ち着くのだ。これは、呼吸を整える効果があるからなのかもしれない。単に吹いているだけなのでそれほどの効果は期待できないかもしれないが、とりあえず、呼吸以外で吐くということが大事なのかもしれない。
歌をうたうことでもいいということを聞いたが、これは息を吐くという意味で同じことなのだろう。ただ、何か楽器をやる方が、手指の動作を伴うので脳への刺激量が多くなるのでさらに有効だろうと思う。さらに、そこへ感動があればもっといい刺激になる。楽器に興味がある人は、尺八やアナサジフルートをすすめる。尺八は高いのだが、アナサジフルートは、その雰囲気を考えると異常に安い。4万程度で輸入できるのだ。
かつて、あれほど恐怖の対象だった睡眠が最近では特に驚異の対象ではなくなった。自分なりに研究したことも大きい。癒されることを次々に開発して行ったことも役立っている。ここでも逃げないことが良かったと思う。そして、私にはそれを伝えたい対象もいたのでがんばれたのだった。自分のためだけならば、ここまでがんばれなかったと思う。
最近では、マイケルの吹くアナサジフルートの音色を子守歌にしている。「RAIN BIRD」というCDだ。なぜこんなもので眠れるのかわからないのだが、我が龍雲の音楽よりもシンプルだからだろうか。アナサジフルートとシンセサイザーだけの音なのだが、脳は安らぎを感じるらしい。
そして、夜中に目を覚ましてしまった時には、奥入瀬の音を流す。これは、川の流れる音がひたすら続くのみのCDだ。私は、水の流れる音、滝の音で安らぎを感じるのでこれを利用しているわけだ。海の音、波の音が好きな人は、そちらを利用しなければ、かえって目がさえてしまうことは言うまでもない。
そして、自分の吹く尺八やアナサジフルートの音はどうなのかと思うが、これについては近々録音して聴いてみようと思う。確かに自分で吹いても心は落ち着くのだ。これは、呼吸を整える効果があるからなのかもしれない。単に吹いているだけなのでそれほどの効果は期待できないかもしれないが、とりあえず、呼吸以外で吐くということが大事なのかもしれない。
歌をうたうことでもいいということを聞いたが、これは息を吐くという意味で同じことなのだろう。ただ、何か楽器をやる方が、手指の動作を伴うので脳への刺激量が多くなるのでさらに有効だろうと思う。さらに、そこへ感動があればもっといい刺激になる。楽器に興味がある人は、尺八やアナサジフルートをすすめる。尺八は高いのだが、アナサジフルートは、その雰囲気を考えると異常に安い。4万程度で輸入できるのだ。
かつて、あれほど恐怖の対象だった睡眠が最近では特に驚異の対象ではなくなった。自分なりに研究したことも大きい。癒されることを次々に開発して行ったことも役立っている。ここでも逃げないことが良かったと思う。そして、私にはそれを伝えたい対象もいたのでがんばれたのだった。自分のためだけならば、ここまでがんばれなかったと思う。
もう、不眠は克服できたと思っていたのだが、今週、どうも調子が悪かった。12時前には眠たくなっていたのだが、この1週間は、なかなか眠たくならず、ついつい1時になるまで本を読んだり、インターネットを見たりしていた。そして、眠りについても午前2時に目が覚めたりするのだった。
夕べは、たまたま、「カモミールティー」が目についたので、「ちょっと、気持ちを落ち着かせるか。」と思い飲んだ。すると、ほどなくして激しい睡魔におそわれて午前6時まで眠ってしまった。体にとってカモミールティーは、意表をつかれる攻撃だったのかもしれない。私は、しめしめと思った。いつもは、やることをやれば、眠れるのだが、もし、そうでなくなれば、意表をつくことをやってみるといいという「法則」を見つけた思いだ。
私の日常に何かあったのかといえば、あった。パートナーとの別れだ。だから、私が久しぶりに不眠に陥ったのは、当然であった。気持ちは、落ち着いていたと思ったが、私の本当の心の中は、嵐だったようだ。新しい仕事を見つけて、またパートナーを呼ぼうという方向に発想が及べば良かったが、「いなくなった」ということだけに着眼する後ろ向きな気持ちに、心の中は支配されていたのだと思う。今では、私もブッダではないのだから、こういう時もあるというふうに考えるようにしている。
尺八が届いたりして楽しいこともあった。今後は、楽しいことに心を向けるべきだろう。今月は、また、岡山に帰ったりして交流もある。そこそこ楽しそうだ。もう、撮りたいと思えるほどの桜は、無いと思うがこの季節らしい写真も撮ってみたい。ネットで見る写真愛好家たちの写真は、本当に見事だ。彼らは、レンズの良さを言っているが、感性も鋭いのだと思う。
久しぶりに寝たので今日は、やることが多そうだ。本当に久しぶりに「ゲームでもやってみようか」という気持ちになっている。残念ながら、その時間は無いのだが、ゲームをやりたいという気持ちには、調子が良くないとなかなかなれないのだ。部屋の片付けもとんとん拍子で進みそうだ。
夕べは、たまたま、「カモミールティー」が目についたので、「ちょっと、気持ちを落ち着かせるか。」と思い飲んだ。すると、ほどなくして激しい睡魔におそわれて午前6時まで眠ってしまった。体にとってカモミールティーは、意表をつかれる攻撃だったのかもしれない。私は、しめしめと思った。いつもは、やることをやれば、眠れるのだが、もし、そうでなくなれば、意表をつくことをやってみるといいという「法則」を見つけた思いだ。
私の日常に何かあったのかといえば、あった。パートナーとの別れだ。だから、私が久しぶりに不眠に陥ったのは、当然であった。気持ちは、落ち着いていたと思ったが、私の本当の心の中は、嵐だったようだ。新しい仕事を見つけて、またパートナーを呼ぼうという方向に発想が及べば良かったが、「いなくなった」ということだけに着眼する後ろ向きな気持ちに、心の中は支配されていたのだと思う。今では、私もブッダではないのだから、こういう時もあるというふうに考えるようにしている。
尺八が届いたりして楽しいこともあった。今後は、楽しいことに心を向けるべきだろう。今月は、また、岡山に帰ったりして交流もある。そこそこ楽しそうだ。もう、撮りたいと思えるほどの桜は、無いと思うがこの季節らしい写真も撮ってみたい。ネットで見る写真愛好家たちの写真は、本当に見事だ。彼らは、レンズの良さを言っているが、感性も鋭いのだと思う。
久しぶりに寝たので今日は、やることが多そうだ。本当に久しぶりに「ゲームでもやってみようか」という気持ちになっている。残念ながら、その時間は無いのだが、ゲームをやりたいという気持ちには、調子が良くないとなかなかなれないのだ。部屋の片付けもとんとん拍子で進みそうだ。
以前、眠る前の文章作成などは良くないと書いたと思うが、最近、そうでもないなと思うようになっている。むしろ、書きたいと思いつつ「寝る時間だから」と寝ようとしてしまうとかえって眠れないことの方が多い。結局、LOOX Uのお世話になり、夜中の2時頃まで書いてしまうことがあるのだ。
文章を書くというのは私の趣味に過ぎないが、一般に、あれをやりたいのにやっていないという状態は、本人にとって充実しているとは言い難い。この気持ちが不眠を引き起こすのではないかと思う。
このように考えるのは、近しい人の証言からだ。眠れないというのは、単に夜の「寝方」にのみ着眼していると見誤ることになる。眠れないということの理由は昼の間の過ごし方にある。充実していないから、脳も疲れない。結果として不眠という事実が残る。
不眠について多くの人は誤解しているのではないか。その結果、不幸にして薬漬けにされてしまうようなことにならねばいいがと思う。うつで悩む人も昼間が充実していないので、脳が疲れていない。運動しようにも薬でやられていてまともにできそうもない。むしろ、薬で眠れないようにしているようなものなのだ。
まず、薬をやめて、何でもいいので昼間にできること、できれば楽しいと思えることを見つけることが先だ。そうすると、必然的に疲れ、眠りそのものに意識が集中しなくなり、自然な眠気が訪れるはずなのだ。ぜひ試して欲しいと思う。
文章を書くというのは私の趣味に過ぎないが、一般に、あれをやりたいのにやっていないという状態は、本人にとって充実しているとは言い難い。この気持ちが不眠を引き起こすのではないかと思う。
このように考えるのは、近しい人の証言からだ。眠れないというのは、単に夜の「寝方」にのみ着眼していると見誤ることになる。眠れないということの理由は昼の間の過ごし方にある。充実していないから、脳も疲れない。結果として不眠という事実が残る。
不眠について多くの人は誤解しているのではないか。その結果、不幸にして薬漬けにされてしまうようなことにならねばいいがと思う。うつで悩む人も昼間が充実していないので、脳が疲れていない。運動しようにも薬でやられていてまともにできそうもない。むしろ、薬で眠れないようにしているようなものなのだ。
まず、薬をやめて、何でもいいので昼間にできること、できれば楽しいと思えることを見つけることが先だ。そうすると、必然的に疲れ、眠りそのものに意識が集中しなくなり、自然な眠気が訪れるはずなのだ。ぜひ試して欲しいと思う。