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勝野洋の娘が29歳の若さなのに肺ガンで亡くなったという。自分ではタバコをやらないそうだ。とすると副流煙の線だろうか。私は、それよりもこの娘がやせているのを見て、栄養障害ではないかと思った。裕福に育っているはずなので、洋食中心の食生活だったと思う。そうすると、普通には、妹のようにふっくらするはずだと思うのだが、生前の映像は、やせている。無理なダイエットを想像させる。残念ながら、ZARDの坂井泉水の場合もそうだったが、故人の栄養状態までは知ることができない。

妙なダイエットとか洋食中心の食生活が廃れることを願う。私も相当にガタが来てから、注意するようになった。洋食は、おいしいのかもしれないが、そのままネイティブ・アメリカンと同じ運命をたどる道であることを忘れてはいけないと思う。民族に合った食生活をすることが、こんな悲劇を無くす一番の近道だ。

ちなみに、これを書いた翌日の私の晩ご飯は、オリジン弁当・カルビー焼き肉エビフライ弁当だった。典型的な洋食だ。大根おろしを同時に食べたのだが、塩分は多いし、食物繊維が少なすぎる食事であったとは言えるだろう。ただ、一週間という意味では「異端」に属するメニューだった。いつも、こんなものを食っているとそれこそ具合が悪くなる。大切なのは、「食べたい」時には食べるという原則だろうと思う。食が細い私でもこんな濃い弁当が欲しい時もあるのだった。

普段は、質素とも思える食事を、たまに「濃い」食事をというのが私の理想とする食事だ。誰かと食事に行くということは、あまりしないので無理矢理食べることは無い。自分のペースで「おいしい」と思いつつ食べる食事がベストだと思う。仕事場近くの食堂で雰囲気のいい所があれば行ってみたいが、それは望めないようだ。狭い場所を利用しての金儲けなので「雰囲気」など後回しにされるみたいだ。小さな頃から「雰囲気」で食事をしていた私には嘆かわしい。

懐かしい光景を時折思い出すのだが、小学2年生まで過ごした吉備津の家では、夏になると縁台のような大きめの台を庭先に出してみんなでそうめんをすするというようなことをやっていた。その雰囲気が好きだったのか、私はその日が楽しみだった。東京で狭苦しい中、しかも臭い空気の中で黙々と食事をしている人々の姿を見ていると「よく、食えるなあ」と思える。もはや、食事を楽しむというような世界ではなく、「補給する」だけの時間なのだろう。

私のようなことを言っていると東京ではめしを食えない。実際に、私が気分良く食べることができるような場所は、ほとんど無かった。東京で10数年間暮らして思うのは、それでも私のような田舎もんの感覚の方が正しいのだと思える。まずいものはまずいし、雰囲気の悪いものは悪いのだ。東京では、金を払っても雰囲気や新鮮な空気は得られない。そのため、岡山にはわりと帰るようにしているし、京都にも行くようにしている。東京を離れるといい空気が吸えるし、雰囲気のいい場所で食事もできる。

東京の人間は、もう少し外へ出るべきではないか?妙な栄養障害に陥らないためには外へ出てみることかもしれない。


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さすがの私も「狭心症」という診断をもらったことはないのだが、今、もしかしてその状態なのかもしれない。50も目前になれば、たとえ診察を受けていないからといってそういう病気になっていないとは言い切れないだろう。実際に私は過去同じような経験がある。

もう6年以上も前になるのだが、担当者ともめて蓄積される「怒り」を全部飲み込んでしまった。すると、みるみるうちに胸が苦しくなるのだった。家でも仕事をしていたので心休まる時が無かったのだ。仕事場から病院へ行ったがまさに「死ぬかもしれない」という思いだった。それなのに、心電図は正常だしレントゲンを撮っても正常そのもの。安定剤のようなものをもらって帰ったと記憶している。

現在、決算をかかえているので土日も仕事状態なのでけっこうアブナイ状態だ。おまけに仕事場でもかなり神経を使う段階だ。手に負えないことではないのだが、自分一人でできる仕事ではないので苦しいわけだ。明日からは、できるだけ話しかけないようにお願いするつもりだ。普段ならいいのだが、締め切りが迫ってくると思考の中断はつらい。けっこう疲れるからだ。せめてこの7月だけでも一人でやらせてもらうつもりだ。

それでも、先日まで援軍がいたのでわりと気楽に構えていたのだが、その援軍も本物の狭心症で休みをとらなければならないハメになったのだ。きのうから決算書類とにらめっこなのだが、未知な部分が多すぎる。すぐに不眠に陥り、4時間睡眠で仕事に出たのが今日だった。胸に爆弾をかかえての出社だったので自分でもおかしいなと感じていたのかもしれない。

食事に出る前あたりから、なつかしい胸の鈍痛が訪れたのだった。今日は、曇り空だったのでなんとか歩くことはできた。これは、日頃の「歩き」の成果だろう。しんどくてもどこまで歩けるかなと思いつつ歩くのがおもしろいのだ。本当の病気ではないと思っているのでこんなことができるのかもしれない。しかし、ゆくゆくは病気でもある程度の挑戦ができるような体を作りたいものだ。

そして、今は、ほぼ何ともない。あまり食欲は無かったのだが、ごはんと焼き鳥とブロッコリーという珍妙な組み合わせの食事だった。仕上げは、スイカだ。自分ではこのスイカが効いたような気がした。何かスッキリしたのだ。この狭心症的な症状の難しいところは、リラックスしようとしてもなかなかできないことだ。何らかの心のわだかまりからすぐに発生するのだが、「忘れろ」と言われても難しい。多くの人はここで薬に走る。

単純なことでは、ストレスを無くせばいいのだが、それが簡単にできるなら苦労しない。多くは、難問を前に落城するのだが、そうならないために問題解決することがいい。知識が少なければ、多くすることでストレスを軽減できる。私は、さっそくネットで決算の情報を集め始めた。そこそこ集まるのでもっと早くやれば良かったと思っている。この土日は、少し休み、来週初めにも税務署で教えてもらいつつ、決算を進めて行きたい。

狭心症については、もっと知っておく必要があるので前に買っていた新書を読むつもりだ。「心臓が危ない」といようなタイトルだったと思う。私がかつてなったような症状が書かれていたので興味を持ったのだ。人の痛みをわかるという意味で自分も狭心症的な経験を持つことはいいことだと思っている。ストレスがある程度たまると誰でもなる可能性はあるのだと思う。私は頼りない人間なだけにどうも周囲の人々を病気にしてしまいがちだ。つまり、「自分ががんばらなければ!きゃつに任せていたら、仕事が終わらない!」と思わせてしまうようだ。結果、責任感の強い人が倒れていくという意味だ。

「食べる」ことがどれだけ大事なことであるか、最近、よく感じている。ゆっくり食べることで食べたものが程よく消化されていることも感じる。結果は、食後の気分ですぐにわかる。翌日の排便でもわかることはある。つまり、スンナリと出れば、まあうまく食事できていると見ていいのだろう。

私たちは、ネイティブ・アメリカンのようになるべきではない、というのが私の思いだ。これは、誰も「そんなバカなことがあるわけがない」と思っているようだが、私たちの歴史とネイティブ・アメリカンが辿った歴史はどことなく似ている。ネイティブ・アメリカンの場合は、現アメリカ人が勝手に領土を侵犯したことによる防衛戦争だったと理解している。私たちとアメリカは、日本がしかけた戦争とその過程で受けた虐殺、戦後から今現在まで続く収奪の歴史を見なければならない。

アメリカと戦争した場合は、奴隷になってしまうということだ。アメリカでネイティブ・アメリカンはもっとも収入が低い階層に属するという。私たちも今後、アメリカと付き合う国でもっとも奴隷的な国になる可能性を持っている。ネイティブ・アメリカンの政治的な主張は知らないのだが、おそらくは日本と同じく反抗すれば容赦なく仕打ちがあるのだろうと思う。この点については、まともに戦える政治家を作るしかないのだと思える。

一方、もう一つ心配に思っているのが、食事だ。私たちは欧米人と違い、腸管が長くコレステロールを蓄積しやすい体なのだそうだ。したがって、肉料理ばかり食べていると太り、病気になるのが必然だ。これまで私などは、何の考えもなく食べて、調子を崩していた。精神的な不調も「食べる」ことで大きく影響する。日本人として、独立して生きるために、和食に徹するということがこれからの正しい生き方のように思う。欧米の料理を食べることはあっても、それはまれなことにすべきだと思うようになった。

穀類を中心とした食事、たまに魚とかを食べるという感じで三大栄養素の「炭水化物」「タンパク質」「脂質」をバランス良く食べることがとりもなおさず、アメリカの属国にならずにすむ道だ。ほとんどの人間がこうすることを望んでいる。洋食の料理店は大打撃だと思うが、民族が生き延びるためなら仕方のない道だと思う。
5月末に健康診断を受けてきた。そんなに体調は良くなかったが、ほとんど異常はなかった。尿に出血の反応があったのだが、これは1回では異常ではないという。連続すると異常なので精密検査が必要らしい。肝臓の数値が悪いのは、毎度のことで肺や胃の異常は見られなかった。酒もタバコもやらない私が、そうそう異常なことになるわけがないというところか。

おもしろかったのは、今年から「人間ドック」扱いになり少しお金も高くなるということ。行ってみてわかったのだが、私が一番「若手」のような気がした。60から70くらいの人々が受ける検診なのかもしれない。検査もほとんど移動することなく済むようになっていて、あっという間に終わった。昼近くになり、検査の結果説明を待っている間に隣のおじさんに話しかけられた。おじさんは、聴力検査でほとんど何も聞こえなかったことでひどく落ち込んでいた。歳を取ると誰でも周波数の高い音が聞き取りにくくなるもので、検査の音もキーンと鳴る音だった。私との会話が普通にできるので気にする必要は無いのではないかと言っておいた。私にしては珍しい経験だった。70を超えた人と話す機会など滅多に無いし、そういうことができない私だったから。

私の反省点としては、体重が3キロ増えたということ。これは、運動するかしてどうしても減らさないといけない。肝臓の数値が悪くなっているのも太っているせいだ。この数ヶ月、風邪をひきたくないために多めに食べることが多かったので、太った原因は明らかだった。今は、急には食べることを減らすことは難しいので、土日を軸にして「歩く」ことを増やしている。せいぜい1時間程度なのだが、気分はものすごくいい。膝にしわ寄せが来つつあるが、これも休みつつやって行くしかない。調子よく生きるということは、かくも難しい!
帯状疱疹は、まだ治っていないのだろか。見た目では確かに下火なのだが、体の全体的な調子という意味では何らかの影響があるような感じがする。水泡が出ていた部分は、今ではかゆい。朝起きると、その部分が痛い感じがする。そして、今日久しぶりに仕事に出たのだが、ちょっとフラフラする。こういう原因があるので自分としてはじだばたすることなく、次に何が起こるのかじっと見守るつもりでいる。イライラするのもまだ完治していないことを思わせるものだ。

私の場合、陰嚢湿疹とかも並行して治療しているのでなかなか厳しい。こちらは、ステロイドとどう付き合うのかという問題もあるので苦しいわけだ。実家に帰っていて少しヒントを得たのだが、家庭用の入浴剤がわりと効くのではないのかということ。ある種の入浴剤を使うと「かゆみ」で目覚めることはなかったというものだ。ステロイドを使うよりは、根本的な治療につながりそうな予感がする。もう少し研究してみたいと思っている。

最近の私は、自分の調子というものにわりと忠実に生きようとしている。食事が大きな要素を占めるのは間違いないのだが、決して自分が望まない形での食事はしないように心がけている。親友と広島に行っても無理はしなかった。焼き鳥屋に入って食べたのはなんと串2本だけだ。どうも、居心地が悪かったということだ。決して体調が悪いということではなかったが、私の「食べる」雰囲気ではなかったということ。

アシュリーがかつて語っていたのだが、苦しい時にはじっとしているのがいい。あまり、あれこれ考えてうろたえるとろくなことがないからだ。そうしているといつか苦しみが消えるのだが、もし、消えない場合は「旅立ち」となる。アシュリーは、確か前回の放送では、そのようなことを言っていた。私も、原因不明で吐き気を催したり、ふらついたりしたり、頭痛があったりするとじっとしていることにしている。これまでの経過からみてもそんなに大病を突然、抱え込むとは思えないからだ。

一方で、食事を中心に体力をつけることを心がけ、土日には歩くことで筋力もつけることを目指している。50間際の体には、これくらいの運動でいいのではないかと考えている。
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