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きのうに続いて今日も病院へ行ってきた。私の中ではセカンド・オピニオンという意味もあった。結果は、まずまずで安心した。アレルギーの薬も妥当なものだそうだ。これからの世の中は、こうやって余分の出費と知りながら、裏をとる必要があるのだ。
さすがに、午前中の病院へ行けるのは、老人とヤンママくらいだ。私の存在が異様な感じだった。こちらも真剣なのでそんなことでめげている暇はなかった。儲かっていない感じの病院だったが、けっこう人が来ていた。感じの良さそうな先生だった。京成線の沿線で下町と言えなくもないのだが、東京とは思えないほどの人の少なさだ。それでも商店街の朝は、確実に始まり、病院は診察を開始し、スーパーは開店し、八百屋には新鮮そうな野菜や果物が並んでいた。
私もいつかは、この日出会った老人のような日々を過ごすことがあるのだろうか。そんなことを思った。私にはそういう生き方はできないと思った。言うまでもなく、私は死ぬまで働くつもりだからだ。じいさんになってもセカンド・オピニオンを聞きに走り回っていることだろう。それも私らしいだろう。
さすがに、午前中の病院へ行けるのは、老人とヤンママくらいだ。私の存在が異様な感じだった。こちらも真剣なのでそんなことでめげている暇はなかった。儲かっていない感じの病院だったが、けっこう人が来ていた。感じの良さそうな先生だった。京成線の沿線で下町と言えなくもないのだが、東京とは思えないほどの人の少なさだ。それでも商店街の朝は、確実に始まり、病院は診察を開始し、スーパーは開店し、八百屋には新鮮そうな野菜や果物が並んでいた。
私もいつかは、この日出会った老人のような日々を過ごすことがあるのだろうか。そんなことを思った。私にはそういう生き方はできないと思った。言うまでもなく、私は死ぬまで働くつもりだからだ。じいさんになってもセカンド・オピニオンを聞きに走り回っていることだろう。それも私らしいだろう。
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体調が悪いのはてっきり、土曜日にもらった抗アレルギー薬が効き過ぎているのだと思い、仕事を中断して病院へ行ってきた。先生には、「それは、絶対無い。」と断言されてしまった。弱い薬を使っているのだという。私の体が異常体質なのだろうか。その可能性は大きいのだが、だからといって私の苦しみが癒えることはないのだ。
結局、何が悪いのかわからず、戻ってきた。いや、仕事は放り投げてしまった。早退したのだった。特にどうもないということならば、それでよしとするしかないか。手遅れよりもよほどいい。まったく、私も母と同じようなことをやっている。自分でどんどん不安を作り上げてしまい、パニックになるのだ。考えてみれば数十年前から変わらない姿なのだ。
家に帰って何かしようにも元気が出ず、またしもうとうとしてしまった。確かに、眠りを誘う薬なのだが、ここまで効くもんだろうか。そういえば、今日は、朝からアクビが出て困ったもんだった。今は、食事をして風呂に入ったので気分的に落ち着いているのだが、また明日から闘いは始まる。
何が不安なのかということがよくわかった一日だった。つまり、私は、常に健康でないとダメなのだ。病気をして働けなくなるとそこでおしまいだ。「日雇い」労働者と何ら変わらないわけだ。この国の年金のことを思う時、老後は無いと思わなければならない。だから嫌だというわけではなく、それがあるので「不安」だということを自分にいつも言い聞かせておく必要がある。
常に健康であること。病気するとそこで仕事を失う。老後は無い、あるのは「死」のみだ。この国を良く変えるためにがんばるつもりだが、空しい結果に終わることも覚悟しておかなければならない。また、そのように考えると心は落ち着く。心を落ち着かせたくて尺八を吹いてみたが、こういう時は、「鳴らない」ものだ。スースーと吐く音だけだ。この辺がおもしろい楽器だ。
アレルギーに関する血液検査の結果はまだだったが、コレステロール値や肝臓の数値は悪かった。たぶん、こういうことが体調の悪さとなって現れているのだろう。まずは、運動を再開することか。明日から、また歩くことにしたい。運動をしていないのは悪かったのだが、それほど無茶な食生活をしていたと思えず、やはり、私の肝臓は悪くなるようになっているのかもしれない。先生は、食べ過ぎだと言うのだが。
ストレスをもろに受けるという意味ではその通りだが、これを改善することなど不可能に近い。今日のようなことがあっても少しもあわてず、堂々としている方がいいのかもしれないが、それができれば私の悩みも少しは軽くなるのだが。
結局、何が悪いのかわからず、戻ってきた。いや、仕事は放り投げてしまった。早退したのだった。特にどうもないということならば、それでよしとするしかないか。手遅れよりもよほどいい。まったく、私も母と同じようなことをやっている。自分でどんどん不安を作り上げてしまい、パニックになるのだ。考えてみれば数十年前から変わらない姿なのだ。
家に帰って何かしようにも元気が出ず、またしもうとうとしてしまった。確かに、眠りを誘う薬なのだが、ここまで効くもんだろうか。そういえば、今日は、朝からアクビが出て困ったもんだった。今は、食事をして風呂に入ったので気分的に落ち着いているのだが、また明日から闘いは始まる。
何が不安なのかということがよくわかった一日だった。つまり、私は、常に健康でないとダメなのだ。病気をして働けなくなるとそこでおしまいだ。「日雇い」労働者と何ら変わらないわけだ。この国の年金のことを思う時、老後は無いと思わなければならない。だから嫌だというわけではなく、それがあるので「不安」だということを自分にいつも言い聞かせておく必要がある。
常に健康であること。病気するとそこで仕事を失う。老後は無い、あるのは「死」のみだ。この国を良く変えるためにがんばるつもりだが、空しい結果に終わることも覚悟しておかなければならない。また、そのように考えると心は落ち着く。心を落ち着かせたくて尺八を吹いてみたが、こういう時は、「鳴らない」ものだ。スースーと吐く音だけだ。この辺がおもしろい楽器だ。
アレルギーに関する血液検査の結果はまだだったが、コレステロール値や肝臓の数値は悪かった。たぶん、こういうことが体調の悪さとなって現れているのだろう。まずは、運動を再開することか。明日から、また歩くことにしたい。運動をしていないのは悪かったのだが、それほど無茶な食生活をしていたと思えず、やはり、私の肝臓は悪くなるようになっているのかもしれない。先生は、食べ過ぎだと言うのだが。
ストレスをもろに受けるという意味ではその通りだが、これを改善することなど不可能に近い。今日のようなことがあっても少しもあわてず、堂々としている方がいいのかもしれないが、それができれば私の悩みも少しは軽くなるのだが。
来週から長期の休みがあるだけに、医者に行ってきた。まだ、サプリメントの病院ではなくて「普通の」病院だ。症状がひどいのでまず、大きな症状を抑えてからと思ったのだ。
毎年、3月あたりからクシャミが激しくなるのだが、今年は大したことはないと思っていた。それが、4月になってひどいことになってしまった。夜中にクシャミで目が覚めたり、体の粘膜が所かまわずかゆくなったりだ。先週には、とうとうまぶたが腫れて「お岩さん」のようになってしまった。口の下には、熱の花のようなものもできた。
ますます、夜も眠れなくなったので週末まで待ち、今日、医者へ行ってきたのだ。先生もさすがに長期にわたるのでアブナイと思ったのか、血液検査もした。今度、行くと結果が出るだろう。アレルギーも長期化すると、急激に現れることがあるので、原因をハッキリさせておいた方がいいのだそうが。呼吸器に出ると、一気に発作として出るようだ。
夕食後の薬を飲んだ限りでは、少し落ち着いた感じがする。ただ、これでいつものように完全に治ったとしても、少しも問題解決になっていない。血液検査の結果を見て、いよいよ本気で治す方法を考えなければならない。その時点で、サプリメントを処方する病院へも行ってみよう。
周りの人のことばかりを調べていたら、自分のことがおろそかになっていたようだ。しかし、私としては満足だ。少しでも他人に役立つことをして死にたいと思っているので。私は、自分の命を惜しいと思ったことはないのだが、無駄に死ぬことはないと思っている。私が周りの人や、他人にも「がんばれ」と言う時、そういう意味なのだ。誰しも犬死は、したくないだろう。
私の母のように、「後期高齢者」はどのような生き方を目指せばいいのだろうか。このところ、母の喘息症状は落ち着いている。しかし、永遠に生きることはできないのだ。この50年以内には必ず、逝ってしまうのだ。もちろん、私の方が早いということも十分あり得る。それが、生きるということの厳しい掟なのだ。注意しても、生きられないこともあり得るのだ。
私の「生きる」ことの考えは、とにかく悪いところがあれば治せばいいというものだ。高齢者と言えども、老い先短いから何もしなくていいことはない。それでは、拷問になってしまう。ガンになろうとも今ではいろんな「治し方」がある。誰も信じていないのだが、ビタミンCを点滴するという方法もある。そうして、とにかく元気に生きて、欲しいものを買い、食べたいものを食べ、言いたいことを言って毎日を楽しくすることがまず第一だ。病気や死を極度に恐れることはない。健康に注意していれば、極端に激変することは無いのだ。
そして、毎日を楽しく生き、他人が喜ぶようなことをして眠るように死ぬことができれば、まずまずではないだろうか。眠る予定が、老衰で死んでしまったというのが私の理想の死に方だ。私の場合、「引退」は無い。死ぬまで現役で働くつもりでいる。それだけに自分のことはあまり考えなくてもいいように健康になりたいと思う。難しい問題ではあるのだが、アレルギーとしばらく闘うことになる。
毎年、3月あたりからクシャミが激しくなるのだが、今年は大したことはないと思っていた。それが、4月になってひどいことになってしまった。夜中にクシャミで目が覚めたり、体の粘膜が所かまわずかゆくなったりだ。先週には、とうとうまぶたが腫れて「お岩さん」のようになってしまった。口の下には、熱の花のようなものもできた。
ますます、夜も眠れなくなったので週末まで待ち、今日、医者へ行ってきたのだ。先生もさすがに長期にわたるのでアブナイと思ったのか、血液検査もした。今度、行くと結果が出るだろう。アレルギーも長期化すると、急激に現れることがあるので、原因をハッキリさせておいた方がいいのだそうが。呼吸器に出ると、一気に発作として出るようだ。
夕食後の薬を飲んだ限りでは、少し落ち着いた感じがする。ただ、これでいつものように完全に治ったとしても、少しも問題解決になっていない。血液検査の結果を見て、いよいよ本気で治す方法を考えなければならない。その時点で、サプリメントを処方する病院へも行ってみよう。
周りの人のことばかりを調べていたら、自分のことがおろそかになっていたようだ。しかし、私としては満足だ。少しでも他人に役立つことをして死にたいと思っているので。私は、自分の命を惜しいと思ったことはないのだが、無駄に死ぬことはないと思っている。私が周りの人や、他人にも「がんばれ」と言う時、そういう意味なのだ。誰しも犬死は、したくないだろう。
私の母のように、「後期高齢者」はどのような生き方を目指せばいいのだろうか。このところ、母の喘息症状は落ち着いている。しかし、永遠に生きることはできないのだ。この50年以内には必ず、逝ってしまうのだ。もちろん、私の方が早いということも十分あり得る。それが、生きるということの厳しい掟なのだ。注意しても、生きられないこともあり得るのだ。
私の「生きる」ことの考えは、とにかく悪いところがあれば治せばいいというものだ。高齢者と言えども、老い先短いから何もしなくていいことはない。それでは、拷問になってしまう。ガンになろうとも今ではいろんな「治し方」がある。誰も信じていないのだが、ビタミンCを点滴するという方法もある。そうして、とにかく元気に生きて、欲しいものを買い、食べたいものを食べ、言いたいことを言って毎日を楽しくすることがまず第一だ。病気や死を極度に恐れることはない。健康に注意していれば、極端に激変することは無いのだ。
そして、毎日を楽しく生き、他人が喜ぶようなことをして眠るように死ぬことができれば、まずまずではないだろうか。眠る予定が、老衰で死んでしまったというのが私の理想の死に方だ。私の場合、「引退」は無い。死ぬまで現役で働くつもりでいる。それだけに自分のことはあまり考えなくてもいいように健康になりたいと思う。難しい問題ではあるのだが、アレルギーとしばらく闘うことになる。