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ずっと前から気になっている事柄、「記者クラブ」と「取り調べの可視化」だが、前者はマスゴミの談合団体のことで取材対象と懇話会(たとえば、検察と!)をやったりするダメ団体だ。後者は、警察や検察で今でも行われている拷問的な取り調べを防止できると期待されている取り調べの公開化ということ。

しかし、私にはたとえ記者クラブが廃止になっても取り調べが可視化されてもほとんど社会は変わらないのではないかという危惧がある。記者クラブそのものにも問題はあるが、問題の核心は命懸けで取材をするつもりが無い記者にあるからだ。表の記者クラブが無くなれば「裏」で作るだけのことではなかろうか。また、クロスオーナーシップが禁止されても「裏クロスオーナー」というものが生まれるのだろう。

サラリーマン化している現在のジャーナリストには、危険を冒してまでやる仕事とは思っていないのだ。自分がウソの報道を垂れ流して、国民が判断を誤ってもそれは、ダマされる方が悪いというふうに考えるだろう。結局、そういう考え方でいるからどんどんマスコミも信用されなくなり衰退して行く一方だ。しかもたちの悪いことに、今後もますます「煽ってなんぼ」の姿勢は強まるだろう。真実を伝えるつもりは無いのだから当然の帰結だ。

私も「記者クラブ」が廃止されるか、全ての会見が誰にでも開放されることを望むのだが、そこからこの国のマスコミ情報が信頼できるようになるかどうかは眉唾だろうと思う。気概のあるジャーナリストが育たない限り、信用はできない。少なくとも今のマスコミはほとんど期待できない。特に、おじさんの部類に属する層には全く無理だ。彼らは、既に守りに入っている。世の中がこれまで通り、うまく「ダマされる」ことのみを願っている。それが自分の利益になるからだ。国民が、マスコミを信用してくれることが自分の食い扶持を支持するからだ。

「取り調べの可視化」はとりあえずは急務だろう。そうしないと、今回の石川議員の秘書が監禁されるような事件が今後も起きるからだ。確かに、可視化でこの種の監禁は防止できるが、もっと根の深い「冤罪」はなかなか無くならないと思う。それは、警察や検察は自分の「仕事」を効率化するためにも取り調べの「予行演習」をするからだ。あらかじめ演技した後でそれをビデオで撮ったり、録音するだけのことなのだ。検察や警察が「納得できない」演技しかしなかったら何百回でも「予行演習」は続くだろう。これは、今の拷問的な取り調べと同じではなかろうか。

結局、警察も検察も権力をもちながらも自らの過ちは問われないというしくみがある以上「狂気」と化することは避けられない。しかも、食いっぱぐれはないとくるから、後から後から同じ傾向を持った人間が製造されるだけで社会は良くならない。私は、ここでも検察・警察にまともな人間が育つしかないと考えるが、しかし、それを言っているとそれこそ永久に無理だという話になる。そこで過渡的に、警察にも検察にもそれぞれ監視組織をつけることを構想している。

それは、国民から直接選ばれる臨時的なものであってもいいし、国会議員からなる組織であってもいいと思う。少なくともその中にかつて冤罪で何らかの被害を受けた経験者が半数以上含まれることを条件とすることとする。検察や警察に厳しい組織にすることで、より公平性が保たれるからだ。そして、何か事件が起こる度に招集されて「ものいい」をつける。「ものいい」がついた事件については、この組織が起訴相当なのか不起訴なのかを決めて警察や検察に控訴はできないようにする。

ここにきて検察を追求する動きが見えないのが気になる。よく考えてみると女性の監禁を暴露したのは、週刊朝日だけだ。当然の帰結かもしれない。ただ1つの希望は、民主党も改革したいと思っているだろうということ。なにしろ、検察を落とさなければ他の公務員が依然として仕事をしないからだ。ここは、これ以上検察に手出しをしないと思わせておいて、最初の予定通りの改革を進めてもらうしかないということだ。
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例によって5時からパソコンの前だ。今日は片付けをやって、運動をしてと思っていたのだが9時が来てもまだ寒い。ちょうど雪が降り出す前のような寒さだ。これは予定外だった。寒いにもかかわらず、「こう寒けりゃ仕方がない!」とぼやきつつアイスクリームを食べた。アイスクリームが私の元気の素なのだ。おかげで腹がぐるぐる鳴り出した。

残念ながら、今日は大した仕事はできないような気がする。部屋の掃除とか簡単な片付けまでだろう。フトンを干したかったのだが、もちろん無理だ。で、何をやるのかといったら、ぼーとTwitterのつぶやきを見るだけか。

書いためた本を読むのもいいのだが、いつもながら眠たくなって寝てしまう。この時期、うたた寝は命取りだ。それこそ、風邪をひいてしまう。この2月は仕事にはわりといい時期なのでやっかいな仕事を大きく前進させたいという色気もある。ダウンしていたらその2月もあっという間に終わってしまう。

この時期だけなのだろうと思うが、とにかく寒くて体が動かない。特に体調が悪いということではないと思う。ちゃっかりと食欲も便通もあるからだ。睡眠もそれほどとれていないということもない。
私は、官僚という言葉が受け入れられず、すべて「公務員」と呼んでいる。そして、彼らのかなりの部分は、「休まず、遅れず、働かず」で生きていると思っている。だから、この国はダメになったのだと言いたいわけだ。5千万件にもおよぶ年金の未統合が象徴的な例だ。

そして、新しい年が始まってすぐに起きた検察によるクーデター。これなど、従来のやり方を変えたくない連中の典型的な行動だ。しかし、相手は逮捕権まで待つ暴力集団だ、誰しもまともには相手したくない。それを知った上での行動だと思うが。

それにしても、検察とか国交省とかの公務員の質は異常なほどに低い。国交省の何が気にくわないのかと言えば、政権交代があってからのダムの話題だ。いくつかのダム建設現場では何百年も続いていた村落を破壊している。しかも、今でもダムを造ったことによる「地割れ」(地下水が上昇してなるらしい)が生じて日々が不安でならないという。だが、ダムを管理する国交省のくず公務員たちは、ダムのせいだと認めないのだ。最近わかったらしいことに八ツ場ダムの上流では、ヒ素がたまっているという問題がある。これも国交省の連中が隠していたのだそうだ。

公務員は、私たちが日々苦しい思いをして仕事をしているのとはまったく別次元の世界で生きているようだ。まともな頭ならば、こんなダムは造らないし、国民が喘いでいる時にクーデターを画策するなど考えられないことだ。こういう思い上がった連中に何かができるわけがない。

にもかかわらず、彼らにはマスコミという強力な応援団がいる。新聞で、テレビで、ラジオで雑誌で連日、「石川は議員辞職だ!」と刷り込むと、中には本気にする人も出てくるのではないだろうか。この国が近代国家としてスタートした頃は、それでもまだまじめで優秀だったかもしれないが、生活の安定を求め始めた頃から、極端に「品質劣化」が始まったみたいだ。頭を鍛えないのだから、劣化するのは当たり前だ。日々出会う困難によって頭は鍛えられるのだが、楽なことばかりを選んでやっていれば、当然、バカになるのではないか。

はっきり言おう。検察、警察の抱えている闇をここで突き崩さなければ、どんな改革も中途半端に終わる。その他の公務員は、新政権をなめてかかるからだ。そして、旧政権の暴力機構が自分たちを援護してくれると思うと心強い。マスコミも、当然、仲間である検察がいつでも暴走して「風を吹かせて」くれることを期待している。なにしろ、この国のマスコミは、真実ではなく「煽る」ことを生業にしているのだから。

真実を元に判断して行く経験を持たないと、この先も必ず、過ちを犯すだろうと思う。それは、結局、より多くの人々を不幸に突き落とすだけのことだ。本来、「罪」でない人を罪人にしてしまったり、そうみなして報道されたりすることを許してしまうのだ。最終的には、国家の破滅を迎えるだけのことだが、もちろん、そんなことが誰にとっても好ましいわけがない。だからこそ、真実を、いや、より真実に近いことで物事を判断するという習慣を持つべきだ。

今度の検察のクーデターを見ていて思うのは、検察は仕事が無いのだろうということだ。仕事が無い公務員ほど手に負えないものはない。しかも、連中ときたら「凶器」も持っている。自衛隊もよく問題を起こすが、彼らもまた仕事が無い。戦争が無い世の中は、することがないということだろうか。ただ、防衛という意味ではいい仕事をしていると聞く。私のクラスメートもレーダー係でいい仕事をしてくれていると思っている。ただ、それにしても暇なのだと思う。飛行機の格納庫が無いので各地の自衛隊の基地を行き来することもあるのだという。それはそれで楽しみなのだそうだ。

自衛隊については、災害救助をメインとして置き、この国の防衛は防衛で並行してやってもらえばいいと思う。災害救助を「お助け」という認識でいるから仕事が無くなる。いつでも救助を目標にして働くべきだろう。検察の仕事は、必要だと思うが検察を取り締まる組織も必要だ。今回のクーデターのように罪が無くとも一度動き始めると、止められないという欠陥があるそうだ。このような時、政治が乗り出し「ものいい」をつける。その際、検察が最も嫌う人員構成で検察審判を行う。今ならば、菅谷さんや鈴木宗男氏、三井環氏などに入ってもらう。この厳しい審査をもってしても起訴相当という時に起訴が通るようにする。

今回のように検察が自己の手柄のために冤罪事件を起こしたに等しいような場合は、厳しく罰することもできる権限を与える。もちろん、検察の職は、懲戒免職とする。検察の採用も「選挙」の洗礼を受けることを義務とする。いくら学校の成績が良くとも人に好かれなければこの職につけないようにする。この全てのやりとりは、インターネットで全て公開し、国民が望めばいつでも誰でも閲覧できるようにする。そして、「特捜部」などという思い上がった組織は、解体する。仕事が無いにもかかわらず、仕事をしているような顔をするから問題を大きくするだけのことだ。

ただ、私は、立花隆とか堀田力とかの検察大好き人間から、どうしてそんな人格になったのか聞きたい気がする。堀田力は、検察で面倒見てもらって、自らも大活躍した古巣なので当然かもしれないが、それでも「合理的な判断」という意味からは、今の検察組織を擁護する意味がわからない。立花隆は、ロッキード事件をあげた立役者だから、この栄光にはすがりたいだろうが、それも氏の「合理的な判断」からは導き出されないように思うのだが。つまり、今の検察がいいというような結論は出てこないという意味だ。

立花隆については、本気で病気を心配している。小田実の時もそうだった。拉致被害者家族に対して無神経な言動をしているらしいということを知ってほどなくがんになったという話を聞いた。真実を確かめる前に亡くなってしまった。病気で感情をコントロールできなくなったのではないか。立花隆を批判するのはたやすいが、本気で病気を心配する。せめて、病気を治して、あるいは共存して、今の論争を合理的に判断して欲しい気がする。
この国の社会は、ようやく変わりつつあるのだと思う。これまで、「当然」と思われていたことがそうではなくなる。新しい時代に移りゆくための試練、それが今回の検察のクーデターではなかったか。

●古い意見の代表的存在→立花隆(こちらは、そのお説)

●これからの時代の意見→郷原信郎

残念ながら、立花隆は病気が悪化しなければいいがと思うような興奮が伝わってくるような文章だ。検察と一緒になって政治家を攻撃するというスタイルの元祖的な存在である立花隆は、何があろうとも検察=正義という方程式は絶対に譲れないのだろうと思う。過去の栄光も、もしかすると崩れるかもしれないだけに一歩も引けないのだろうと思う。ただ、判断ミスは誰にでもあることで、ミスはミスとして新しい判断基準で生きる道はあると思うのだが。

郷原氏は、去年の西松事件以来、検察の姿勢を批判してきた。失礼ながら、その風貌から、べたべたの検察擁護派と思いきや、もっとも鋭い意見を検察に対して言い続けている。難しい法律の話を素人にもわかりやすく述べてくれるのが特徴で、検察出身ということも重みがある。さらに、私がよく引用するように「一罰一戒百戒」という概念を導入してくれているのも説得力に富む。つまり、法令違反だからといって、狂犬のごとく、目の前のものに何でもかまわず噛みつくことは社会を良くすることにはつながらないという考え方だ。ビデオのように、今回のクーデターで石川議員を逮捕したこと自体がとんでもないことだという意見だ。

2月7日現在でマスゴミが流している世論調査では、新政権はピンチになっている。今回のクーデターの真実を誰もが知るようになれば、数字は変わってくると思うが、マスゴミと検察はグルなのでなかなか難しい。その意味でも古いタイプの評論家、立花隆の存在と新しい時代の社会分析家、郷原信郎の存在は対照的だ。

今の世論調査は、「検察=正しい」という前提があってのことだと思う。しかし、時代は進み、「検察≠正しい」となっているのだ。今回のクーデターを画策した連中は、ずっと同じようなことをやってきている。理由は、「手柄をあげると、今後の人生が安定するから」だ。この国の未来よりも自分の出世の方が大事なのだ。民主党革命の「公務員の再編成」という考えとは確かに相容れない。

マスゴミのニュースで「これで終わりではない」というのをよく見かけるが、新政権がこのまま頭狂恥犬に何もしないようであれば、再びクーデターを起こされることだろう。しかも、それは国民にとって深刻な事態になりかねない。だから、今回の事件に加担した連中の処罰をきっちり行う、行えるような法制度を整えることが必須だろう。残念ながら、警察と検察は信用できない。従って、これらを監視する組織を作ることが必要だ。

私が危惧するのは、歴史の教訓だ。「五一五事件」事件をあいまいに処理したことが「二二六事件」を生み、政党政治を崩壊させたという歴史だ。私もそうだが、多くの人はその詳しい事情は知らない。ひょっとすると今回の事件は、「帝人事件」とそっくりなので、同じような事情なのかもしれない。間に合うかどうかわからないが、歴史の勉強のしなおしが必要だ。
昨日の鳩山首相の施政方針演説は、「誰もが居場所のある社会」(=正確な表現ではないかもしれないが)という言葉の方に私は改めて注目した。この人は、いろいろと批判もされているのだが、そういう目標に向かって生きているとしたらぜひ応援したいと思った。がんばっても報われない、そんな社会ではやる気も起きない。社会全体としては、どんどん落ちていくことだろう。変えなければいけないのは、誰もが能力を生かして生きられるようにということ。

この2月4日には、逮捕されている石川議員が起訴される予定らしい。小沢氏の私邸までも強制捜査されるのではないかとも噂されている。検察のスケジュールとしては、国会の会期が終わるのを待って小沢氏の逮捕というものが目標にあるのだから、これでも控えめな方だろう。

私は、官邸が状況をどうつかんでいるのか知るよしもないのだが、これはピンチではないかと思っている。したがって、もし、検察が小沢氏の逮捕にまで暴走するならば、指揮権発動すべきだとメールした。鳩山首相本人ではないかもしれないが、「受け取った」という返事は来ていた。最高権力者に対して、その番犬にしつけをしろというメールなのでおかしな話ではないとは思うが、番犬が主人に噛みついている、しかも狂犬のようにというのが異常な点だ。

年末年始の小沢氏の行動と検察の動きを追っていると、私の目には検察のクーデタに見える。民主党のしょうもない「改革」については許すが、公務員の利益を犯すような改革を主張するような政治家はその政治生命を奪う、という明確な意志が感じられる。民主党の大臣たちが苦労しているのは、各省庁の公務員が仕事をしていないからだと思うが、それもそのはずで検察が最後かつ最強の砦として存在するからだ。検察が折れない限り、自分たちも従う必要はないと思っているのだと思う。埋蔵金もそれまでは出てこないのではないか。

ここにきて、検察は一旦休戦という見方も出てきているが、スケジュールは変わっていないと私は見ている。どのみち、このまま民主党の行動を許していたら警察、検察の手も足ももぎとられてしまうからだ。現時点でも、参院選の行方は怪しいものにすることに成功しているのでしばらくは様子見なのだろう。5月には普天間の件でさらに新政権が窮地に追い込まれる可能性もあるので、それまで待っても悪くはないということではないか。普天間の件では、さらに私も意見を送る予定なのだが、鳩山首相は仰天するかもしれない。

ネットでは識者が指摘しているように、ここで新政権が検察を改革できなければ、戦前のような警察国家、検察国家になるだろう。無実であっても拘束されて拘置所内で死亡することもあり得るような社会だ。政治家であっても一般市民でも同じだ。私のように運転免許証を見せなかった罪で逮捕されても、拘置所で死亡ということもあり得るのだ。検察が改革されなければ、その他の公務員も改革されないだろう。全体として改革は中途半端に終わり、誰もが居場所のある社会の実現は不可能になると思う。

一方で仕事が無く明日の食事代にも困る人がいて一方では死ぬまで食いっぱぐれのない公務員がいる。公務員を大改革するという方針は正しいと思う。今後の公務員採用はすべて「予備」とし、いつでも解雇できるようにする。極力、公務員の人数は減らす。警察、検察については、国家ではなく国民による監視機構を設ける。その機構には逮捕権も付ける。そうすることで誰もが居場所に困らない社会の第一歩が始まると思う。
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