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私がよく見るブロガーたちが、ひとりまたひとりと政治に対する無力感を表明するなり、鳩山政権に訣別をしたりしている。普天間の問題とか、原発推進に失望してのことだ。

私も、遅ればせながら普天間の問題を考えるようになってから鳩山首相にツイートすることが多くなった。何も言わず訣別するよりも、言いたいことをどんどん言って、現実が少しでも良くなることを目指した方がいいと私は考えている。

その中で、親父の話題を紹介したこともあった。私の親父は、第15期少年航空兵として戦争中は、台湾で出撃を待っていた。恐らくは、沖縄特攻だったと思うのだが、詳細は聞いていないのでわからない。搭乗機は「隼」で、所属していた部隊は「誠隊」だったというところまで聞いている。

神風特別攻撃隊には、生き残るということがない。行けば、必ず死んでしまう。そんなところに何で志願したのかと聞いたことがある。「あほう、行かんかったら強制労働で、でえれえ目にあわされるんじゃけえ。」ということだった。強制労働よりも「死」という選択がわからないのだが、要するに大日本帝国では、若者にそういう生き方しか許さなかったのだ。

親父が特攻出撃する予定だったのは、8月15日だったという。奇跡のような感じだが、奇跡だけでもなかったようだ。上官に同郷の人がいて出撃命令を遅らせてくれたのだそうだ。その結果、敗戦を迎え助かったというわけだ。遺書は両親、つまり私の祖父母の元には届いておらず、出撃していたら、まさに犬死にだった。当時のニュースによくあるように、土下座して泣く、というようなことはなく、皆、「助かった!」と狂喜したそうだ。

私の両親の世代くらいまでには、普通にある戦争の記憶に鳩山首相にも思いをはせてもらいたかったのだ。合理的な考えを持たず、神懸かり的な思い込みで現実の政治が動いていたのは、ほんの60数年前のことなのだ。

戦争とは関係ないのだが、私の記憶にも戦争のかけらのようなものが残っている。それは、父の持ち物だ。今でも覚えているのは、飛行帽とゲートルだ。飛行帽といっても本物ではなかったかもしれない。昔は、戦争で使われていたようなものが売られていたのではないか。ゲートルについては、たぶん本物だったろう。私が中学生の頃までは、よく家族で登山に行ったりしていたのだが、必ず巻いて登っていた。他の登山者(おそらくは、戦争経験者)が「なつかしいものをしとられますなー。」と言っていたのを思い出す。親父は、にっこり笑っていた。

親父は、20年前に亡くなった。戦争に翻弄されたとは言えないかもしれないが、幼い頃に「死」と直面せざるを得なかったという体験は、生涯消えることはなかったのではないか。もちろん、国家の都合で「死」に直面させられたにもかかわらず、軍人恩給など1円も無かった。「期間」が短かすぎるのだそうだ。飛行機乗りだったこともあって、タクシーの運転手という職業を選び、結婚生活を始めたのだと病室で聞いた。当時は、誰にでも車の運転などできるもんではなく、「花形」の職業だったそうだ。

晩年は、タクシー業界の過当競争で仕事が激減し、ほんでもって収入も大激減し、おまけにバカ息子(私)はスネをかじりまくるので苦しい毎日だったようだ。睡眠不足と闘う日々だったので、私の覚えている元気な頃の親父の顔は、険しいものしかない。転職も、もちろん考えたと思うが、私のような出来の悪い息子がいたために、ままならずタクシー運転手を続けるしかなかったのだろう。日記には、仕事に身が入らない、というようなことが書かれている。ちょうど、私がパソコンに向かってもやる気が起きないという状態と同じようなものなのかもしれない。

がんは、体の免疫システムが弱くなったことを意味するようなので、適切な治療ができても、そう長くはもたなかったかもしれない。ともかく、親父は入院して2ヶ月という短さで逝ってしまった。入院当初は、まだ元気で私が肩をかして自分でトイレに行ったりもしていた。その体は、ずっしりと重かった。「治らんかのー。」とつぶやいていたのを今でも忘れることができない。痛みがおさまった時に、これまでの人生をいろいろと語ってくれた。親父と世間話をしたのは、この時が最初で最後だった。

私としては、無名の人々の死の上に、曲がりなりにも今の平和があるのだということ、死ななくとも戦争に巻き込まれた世代の語られない人生があっての今があることを鳩山首相に訴えたかったのだ。私でなくとも、そろそろ戦争をするための外国の軍隊をこの国から追い出したいと思うようにはならないものだろうか。その上で平和友好条約を考えればいいだけのことなのだから。

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今日から、大阪、東京ではネットでラジオが聞けるようになった。ここに接続して、放送局を選ぶだけだ。理論的には、数万人が同時アクセスしても大丈夫なのだそうだ。しかし、今朝はいきなりつながらなかった。仕事場では、プロキシー経由だからおかしかったのだろうか。

ただ、東京では大阪の放送局は聞けないそうだ。ネットで全国の放送が聞けるようになることを目指すそうだが、それには、まだまだ時間がかかるそうだ。ラジオは、あくまでもローカルなものなので、契約関係とかもなかなか問題があるらしい。それよりも、今からでもネットを利用した受信を開始する必要があったのだという。ラジオが廃れつつあるからだ。

私のようにラジオで青春時代を過ごした人間には、今でもラジオは楽しいし、毎日利用している。しかし、若い人やお年寄りは、テレビがお友達らしく、ラジオはまず聞かない。ラジオの方が頭にいい刺激をもたらすと言っても詮無いことなのだ。キーホールTVで毎日、毎日放送ラジオを聞いている私にとって、ラジオの無い日々など考えられないのに。

3月になって私のラジオライフも変わり、毎日10時になるとMBSうた組を聞くようになった。もともと10時以降はテレビを消していたのだが、かといって聞きたいラジオもなかった。金曜日のうた組は、吉竹史が出るので欠かさず聞くのだが、平日はどうでもよかった。しかし、ここにきてとにかくいろんな音楽が聴ける番組もええなあと思い、うた組を毎日聞くようにしたら、なかなか快適だったのだ。仕事をしながらでも、文章をかきながらでも調子がいいのだ。

4月からは、いきものがかり、吉岡聖恵のオールナイトニッポンが水曜日に移動して、金曜日は、AKB48が入るという。ちゃんきよのは当然聞くとして、AKB48はどうかなというところだ。アイドルがおもしろいとは限らないからだ。その昔、きょんきょんのオールナイトも聞いていた私としては、まんざらでもないのだが。ラジオの向こうの相手がどんな容姿かもわからず、おもしろいか、おもしろくないかだけの判断で聞くのも楽しいと思える。

私としては、いつもは録音して聞くのでこのサイマル配信は使うことがないと思うが、もちろん、東京にいながらにして大阪の局が聞けるようになれば、こちらを利用するようになるだろう。全国のラジオが聞けるようになるとこれはものすごく魅力的だ。東京にいても毎日放送のラジオが現実に聞けているのだが、聞いてみると東京のフィルターがかかっていないだけに新鮮な感じがする。

いろんな情報から、できるだけ真実に近づくようにしたいというのが私の狙いなのだ。もはや、この国のマスゴミからは客観的な真理は得られないと思っているわけだ。

仕事柄、法律関係のipodアプリも購入してよく見る。最近購入した、三省堂の模範六法だが、「刑法」とか「商法」だけではなくいろんな法律が存在することに改めて驚く。その中に「学校教育法」というのもあるのを知って今さらのように驚いた。大学のあり方についていろいろと細かく規定してあるのだ。

これを見ると、要するに大学を改革するといっても現存するこういう法律を細かく見ていかないとガチガチでどうにもならないということなのだろうと思う。私が過去、菅直人氏に思いつきで「大学はこうあるべきだ!」と言ったところで何の反応も無かったことがわかるような気がする。

つまり、こういう法律を決めてきた直接の担当は、公務員だろうから、連中の有利になるようにしか作られないということ。今、その公務員の利益代表として大暴れしている検察が、「この国のトップは、試験の成績がいいやつがなるのだ。」と主張しているのがわかるような気がする。

彼らが、トップのうちは、この国も決して良くならないような気がする。ここは、時間がかかっても公務員から権力を剥奪して行くことしかないように思う。この国は、公務員とマスコミがお互いに補完し合って権力を構成して来たようだ。検察、マスコミが現在も断末魔の叫びをしつつ暴走しているのも意味あってのことなのだ。

前にも書いたように、成績の良いことはけっこうなことなのだが、「世界に通用しない」ということがいただけないことなのだ。成績が良くとも思考力が無ければ、確かに世界どころか、この国でも通用しない。合理的に考えることができなければ、世界に出る前にこの国の社会でも通用しない。マスコミや検察は、それでもおれたちが支配者なのだと連日のようにわめいているわけだ。しかし、それでは確実に早晩、この国は滅亡する。

成績が良くて思考力の無いバカな公務員は未来が無いのか?そんなことはないだろう。バカはバカなりに自己を見つめれば生きる道は残っている。ただ、支配者としての位置は、あまりにも不釣り合いだというだけのことだ。何も考えなくてもいい仕事、一定のことだけをすればいい仕事に配置転換すればいいだけのことだ。しかも、景気によって給与が変動するしくみとか、すぐには「正職員」にはなれないとか、いつでも免職可能なしくみを導入することでその仕事ぶりは変わってくるだろう。

方向というのが決められたらいいと思うのだが、それは不可能なのだろうか。つまり、この国では何でも「やる気」というものが生かされるようには決められていないような気がするからだ。「やる気」というのは、目に見えないので仕方ないかもしれないが、現実にはこの「やる気」が大きく仕事の質を左右している。学問についても同じことが言える。

やる気を元に大学のあり方を決めると、高卒、あるいは、それに準ずる成績があれば大学へ進学できるとする。学部・学科の選択は自由で制限を設けてはいけないものとする。研究期間も自由で何年大学に通うことも可能で、一度中断して再度戻ることも、大学間を自由に行き来することも可能。ただし、何年大学に通っても「資格」が与えられることは無い。自分の実力は、自分で証明しなくてはならないものとする。これならば、世界に通用するのではないか。そして、こういう法律が六法に載るようでなければ進歩は無いのだろうと思う。
私は、高校受験までは何とか社会に適応できた。それは、これまでにも書いてきたことだ。しかし、その時点で私に反省を抱かせる事件があったことも事実だ。

希望通りの高校に行けて、お気楽な気分で下校していた時だった。中学時代によく遊んだクラスメートとばったり出くわした。彼は、変わった進学をしていて、県外の商船高校へ行ったのだった。しかし、出会った時は、市内の私立高校に行っているとのことだった。何があったのかは知らないのだが、いじめでもあったのかと当時は思った。

少しだけ話したと思うのだが、それはけっこう重い話だった。「おめえが、あの高校に行くとはのう。」と彼は言っていた。つまり、中学時代の私の印象からは、市内の進学校に行くことは無理だと思っていたのに、という前提があるようだった。実は、私自身も同じでまさか合格できるとは思っていなかったのだ。

彼の言い分ももっともだった。私の知る限り、彼こそ真の勉強家で読んでいる本の量も半端ではなかったと思う。一方、私ときたら「ノストラダムスの大予言」とか映画で有名になった「パピヨン」を読んだことがあるくらいで、とにかく文学とは無縁な人間だった。

しかし、現実には本など読んだことが無いに等しい私の方が「受験競争」には強かったということだ。それは、多くを知る人にとって国語の問題などは、答えが一つではないという解釈ができるからだと思う。出題者は、了見が狭いので解答はコレと思って問題を作るのだが、多くの文学に接した人間からすれば、いろんな解釈が考えられるのだと思う。

後年、大学受験競争に大敗北を喫した私が受験に対して恨み節を言うようになるのだが、私が受験した共通一次の初年度の国語の問題にも同じようなことがあった。新聞にも載ったので印象的に覚えている。やはり、その識者の指摘は、多くの文学に接したことのある者にとって別の解釈も可能なので、共通一次のような選択式の問題は大学受験にそぐわないというような内容だったと思う。

そして、今の私もまったく同じ立場だ。受験を突破するためには、受験シフトの勉強をしなければならない。私のように、のんびり「原子は本当にあるのだろうか」などという浮世離れした「勉強」をしているようでは、とうてい大学には合格しないのだ。私のやったことも勉強ではあるが、大学に合格するための勉強ではなかったのだ。

バカな教師、バカな医者、バカな公務員、バカなサラリーマン・・・こういう者達が出現しないのであれば、これまでどおりの体制で良かったということなのだろう。しかし、今や、それではいけないことがあまりにも明らかではないだろうか。あまりにバカが増えると、社会も腐っていく。止めるのは知性のみだ。どうやれば知性は育つのか。

高校受験も私は、自由にして誰でもいつでも行けるようにしたらいいと思う。しかも、3年も必要ないのではないかと思う。研究したい分野が見つかれば、そのまま大学へ行けるようなバイパスも必要なのではないかと思う。つまり、知性を育てるためのシステム作りが必要だと考えている。学歴や資格ではなく、知性を磨くためのシステム作りこそ必要なのだ。

あの彼とは、それっきり出会っていない。彼と仲が良かったクラスメートに最近再会したのだが、その彼でも消息を知らないくらいなのだ。私も東京でクラスメートに探し当てられ、再会するまでは会いたくない気持ちだったが、それと同じなのだろうか。もし会えたら、あの時の会話をもう一度してみたいと思う。傷をなめ合うのではないが、あんたはよくやったと言ってやりたい気持ちなのだ。
兄貴の息子が大学に合格した。ずっと会っていないだけに兄貴ほどの喜び感はないのだが、うれしい話だった。私など、高校の3年、浪人時代の4年をかけても入れなかっただけにそんな簡単なものかと思えてしまう。というのも、成績はイマイチだと聞いていたからだ。

心配なことは、あまりに順調な人生は人間としてどうなのかということと、そもそも勉強が好きでないとしたら、大学合格も意味ないのではないかということ。前者は、誰しもが実体験として味わい、研磨されていくのだからいいとして、後者はいかんともしがたい。自分は合格したのだから「できる」と勘違いしたら、未来は無いと思う。

大学に行ったことのある人は、口には出さないが、大学に行ったこと自体をちょっと自慢に思っているはずだ。ろくに勉強せずとも、ともかく「行った」という実績から自分を規定してしまうのだ。これが危険なのだが、生きるのに便利な「資格証明」だけに誰しも利用してしまうのだと思う。それ自体は、責められることではないと私も思う。私も、もし、合格していたら、しこたま利用していたのではないか。

ただ、だからといって、自己研鑽を怠ったらどうなるのか。いびつな道徳観念を持つ、東京地検特捜部の連中のような人間に育つのではなかろうか。今、この国の悩みはそういうところにあると私は密かに思っている。勉強しない学生に、資格証明を与えるから社会が腐っていくのだと。かつては、バカな医者など考えられなかったが、今では、まんま信じる方が頭がおかしいと言われる時代だ。

ちまたでは「そえじー」と呼ばれてトンデモ学者のように言われていて私もそうではないかと思っていた副島隆彦という人物がいる。その人のインタビューが最近、Youtubeにアップされたので見てみたのだが、意外にもまともな人だと思えた。彼に言わせれば、「ひどい目にあった人こそ信じる」のだという。順風満帆な人生を送っているようでは、「まだまだ」だということだ。

私は、かつて大学をめぐってクラスメートを本気で怒らせたことがある。三浪の頃の話だ。クラスの同窓会があるというので誘われて、話をしているうちに私の本音をぶつけてみたくなったのだと思う。三浪ではあったが、私は少しも気後れしていなかったようだ。「おめーが大学行っても何もできまーが。」といきなり、かましたのではないか。おちゃらけた話をする相手だったので、マジな話などしたことがなかった。ムッとした表情で勉強しないようでは大学へ行く意味がない、としおらしいことを話していたように思う。その彼は、大学を卒業してすぐ結婚して、中学の数学教師をやっていると聞いた。ろくな教師ではないと思うが、それがこの国の現実なのだ。ルールに従って行動すれば、文句ないということなのだろうが、それでは、バカを生むだけなのだということを理解して欲しかった。

合格した兄貴の息子に、いきなりぶちかますつもりはないが、いつかは私と衝突する時が来るかもしれない。自己完結型の勉強ではなく、ネットワーク型の勉強をせい、と私は助言したい。前者の典型は、公務員だ。この国の制度を非常にうまく活用して生き延びるやり方だ。東京地検特捜部のような売国奴になる可能性もある。それは、自分の努力を自分で消費するだけの生き方だから間違っているわけだ。勉強も、仕事も。こんな人間が仕事をすると、冤罪を作って他人の人生を踏みにじってまで生きようとする。

ネットワーク型の勉強とは、自己完結しない、まさに他人と協力しつつ築き上げていく勉強のことだ。自分の努力がやがて、さらに大きな成果を生むというような勉強だ。努力の割に報われることが少ないが、確実に社会に貢献することになる。仕事をしても同じことで、間違っても他人を不幸にすることなどあり得ないことだろう。自己の手柄を求めることはないので結果的に、収入の面では大したことはないと思うが、人間としての価値は、果てしなく大きい。下手をすると歴史に残るくらいだ。

この国では、「名誉」とか「社会貢献」とか「正義」ということが軽んじられてきた。「結局、世の中銭や。」ということになり、自己完結型の勉強を選び、自己完結型の仕事をやる人が多くなり、社会全体が「冷たい」ものになり、ときおり、暴発的な事件が起こる。私に言わせれば、「安定」だから公務員を選ぶ時点で既に終わっている。それは、仕事をしないことを意味しているからだ。

私が、学問をネットワーク型の世界に通用するものにしたいと願うのは、そういう点にある。私は、今でも「何で?」を追求することが学問の原点だと思っている。コンピュータを理解するにもたいへん役立った。あまり、生産性はないのだが、満足感はある。問題は、社会に貢献したり、学問で貢献した人を評価するシステムが存在しないことなのだ。その点、大学卒ではない私が声を上げてもほとんど信用されることがない。
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